■ユーノスコスモ(1990年)
マツダはバブル期にマツダ、アンフィニ、ユーノス、オートザム、フォード車を中心に扱うオートラマという5ブランド、5チャンネル制を展開するという大勝負に出た。そのなかでユーノスロードスター(現在のマツダロードスター)が大ヒットしたユーノスは、今のレクサスのようなプレミアム性を目指したブランドだった。
そのためマツダとユーノスのシンボルとなるモデルの必要性に加え、マツダはロータリーエンジンを実用化した唯一のメーカーだけに、その頂点、夢となる3ローターを搭載車が欲しかったという背景もあり、誕生したのがユーノスコスモである。
ユーノスコスモは今のレクサスLCやBMW8シリーズクーペのようなラグジュアリークーペで、シーケンシャルツインターボとした3ローターエンジンはレシプロエンジンのクランクシャフトにあたるエキセントリックシャフトをはじめ、超高度な精度を持ち、プラットフォームは専用、リアサスペンションは当時のジャガーXJ-Sに影響を受けたのか、ダンパーを2本持つツインダンパーを採用。
インテリアもラグジュアリーなタイプEではフカフカな革シートを持つなどゴージャスなのに加え、世界初のカーナビとなるCCSを設定し、おまけにユーノスコスモは日本専用車という、とにかく贅沢なクルマだった。
しかし、ユーノスコスモはマツダのブランド力とユーノスコスモの不釣り合い具合、ATとロータリーターボの組み合わせによりドライバビリティ(運転のしやすさ、スムーズさ)が今ひとつだったことに加え、3ローターターボは「全開加速すると燃料計が下がるのが目視できる」というのもウソではないらしい燃費の悪さが致命傷となり、まったく売れなかった。
なお、ユーノスコスモは生産が1995年8月まで、販売は1996年6月まで販売され、約5年間での生産台数は9000台ほどと言われており、想像される開発費を台数で割るなどの計算といった見方によっては非常にお買い得なクルマだったとも言える。
■日産ルネッサ(1997年)、プレサージュ(1998年)、バサラ(1999年)
日産は経営的に追い込まれていた1997年、ルネッサという意欲作をリリースした。ルネッサはミドルクラスのステーションワゴンに近い2列シートミニバン、後の1999年に登場するホンダアヴァンシアに近いモデルで、2列目にはスライド機能があり、レッグスペースを広くできることや前席を回転対座できる点といった新しさを持っていた。
さらにルネッサは電気自動車化も想定されており、バッテリーを積むため床下は2代目モデルまでのベンツAクラスのような二重構造となっていた。
しかし、ルネッサは床下の二重構造が仇となってフロアが高く、室内高を確保できず、2列目をスライドすればレッグスペースは広いものの、ヘッドスペースが広くないなどそれほど快適ではないという大きな矛盾があった。また、乗ってみても全体的に乱暴、粗っぽいクルマという評価もあり、販売は低迷した。
1998年登場の初代プレサージュはルネッサとプラットフォームを共有する、ホンダオデッセイの初代モデルをターゲットにしたミニバンである。初代プレサージュは日産車らしい硬質な走りや新開発の2.5Lディーゼルターボが意欲作だったというセールスポイントはあった。
しかし、如何せんルネッサ同様二重構造フロアによりミニバンにとって重要な室内空間が稼げないという致命的な弱点により、後出しなのに初代オデッセイに完敗に終わった。
また、当時は日産もディーラー系列があったため、翌1999年には日産店で販売されるプレサージュに対し、プリンス店とサニー店で販売されるバサラという兄弟車も加わったが、バサラが残したのは車名に特徴があった点だけである。
ルネッサ、初代プレサージュ、バサラが失敗作に終わったのは、「実用化が早すぎてユーザーが理解できず、ユーザーにメリットが薄い」という、日産車でたまにあることが最大の原因だったのだろう。
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