新型クラウンだけじゃなかった!! 歴代クラウン超大胆変貌の歴史と革新性

■国産高級乗用車の象徴

当時のアメリカ車のトレンドを盛り込んだ2代目クラウン
当時のアメリカ車のトレンドを盛り込んだ2代目クラウン

 1962年に2代目がデビューしている。当時はアメリカ車が世界の最新トレンドを担っており、2代目クラウンも当時のアメリカ車の最新トレンドであった、“フラットデッキ(フロントからリアまでフラットな構成になっていること)”を採用。ヘッドライトも当時の高級車の証であった“4灯式ヘッドライト”が採用されている。

 2代目はデビュー当初こそ直列4気筒のみのラインナップであったが、1965年の自動車輸入自由化を見据え、1965年に直列6気筒エンジンが追加されている。日産セドリックやプリンス グロリアも同様に直列6気筒を設定した。

 また2代目クラウンをベースに3ナンバーワイドボディ化し、V型8気筒エンジンを搭載した“クラウン エイト”もラインナップした(グロリアではグランド グロリア、セドリックではスペシャルが3ナンバー車として用意されている)。

 おもにアメリカ車となるが、自由化により価格競争力を持った輸入車が日本国内に多く出回ることを強く意識したモデルへと2代目は変わっていった。

 1967年9月に3代目がデビューしている。

 “日本の美”をテーマに開発された3代目は、それまでクラウンクラスの各モデルは黒塗りの社用車やハイヤーなどのイメージが強かったので、“白いクラウン”というキャンペーンを展開、さらに“オーナーデラックス”というグレードを設定するなど、パーソナルユース色を強めた販売促進を行っていた。

 さらにシリーズ初となる2ドアハードトップもラインナップさせている。

 日本の美をテーマに開発された3代目だが、マイナーチェンジでセダンは当時のアメリカ車で流行っていた直線基調を強調した顔つきへ大胆に変更されている。この大胆なマイナーチェンジに至った背景ははっきりしないがオーナーカーを意識しすぎた“揺り戻し”だったのかもしれない。

 先進的かつ個性的な形状とされるスピンドルシェイプを採用した4代目は1971年2月にデビューしている。全体に丸みを帯びたそのデザインから“クジラ”との愛称がつけられ今日に至っている。

 当時幼稚園児だった筆者ですら、その特異なエクステリアに驚いたことを記憶しているのだから、ハイヤーやタクシーなどとして使う法人はもとより、個人オーナーからも理解されないことが多く、販売ではかなり苦労したとのことである。

 1973年にマイナーチェンジを実施し、応急処置的とでもいうべき改良を施したが、その“クジラ”スタイルは大きく変わることはなかった。

 4代目を反面教師にしたかのような正統派保守的なスタイルを採用した5代目は1974年10月にデビュー。5代目にして初めて4ドアハードトップがラインナップされた。

 日産セドリック(3代目から)&グロリア(4代目から)も4ドアハードトップをラインナップしているが、日産勢がセンターピラーを持たない“ピラーレスハードトップ”なのに対し、クラウンはセンターピラーを持つ“ピラードハードトップ”を採用していた。

 1979年9月に6代目がデビューしているが、1979年6月に“430型”となる日産セドリック(5代目)と同日産グロリア(6代目)が一足先にデビューしており、後にターボ仕様の追加もクラウンは先を越されるなど、販売面は別としてもその存在感では430型セドリック&グロリアに譲る日々を過ごしていたと筆者は当時受け止めていた。

 1983年8月にデビューした7代目の中盤あたりから日本経済は“バブル景気”の真っただ中に入っていく。7代目ではリアピラーに“クリスタルピラー”という、光沢のある樹脂カバーを配すなど、ゴージャス路線を突き進んでいった。“いつかはクラウン”というキャッチコピーが使われたのもこの7代目である。

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