■リーマンショックやリコール問題、豊田社長の船出は厳しかった
具体的に豊田章男社長が残した功績を思い出すと、豊田章男社長がトヨタの社長に就任したのは53歳だった2009年のことである。豊田章男社長の船出は就任した際からリーマンショックによる不景気、2010年の大規模リコール問題、2011年の東日本大震災といった苦難の連続であった。
そのなかで豊田章男社長がクルマという商品に対して社内に言い続けたのは「もっといいクルマを」というメッセージで、トヨタ車の魅力度はトヨタ新世代のTNGAプラットホーム第一弾となった2015年登場の現行プリウスから結果になって現れ始めた。
クルマの大きな魅力である趣味的な部分に関しても副社長時代から2012年登場の初代86の誕生を後押しし、2017年にはスポーツブランドのGRを立ち上げ、今ではGRスープラ、GRヤリス、GRカローラという生粋のスポーツモデルが揃い、トヨタは日本の自動車業界でもっとも華のあるメーカーとなった。
さらにクルマ好きの豊田章男社長はニュル24時間レース、日本ではスーパー耐久、ガズーラリーチャレンジといったモータースポーツ(※編註1)にも積極的に参戦し、トヨタのマスタードライバーとして自ら市販車へフィードバックを行うと同時に、大きな話題も残した。
そんな豊田章男社長のリーダーシップにより、トヨタ車は安心感だけでなく魅力あるものとなり、現在のトヨタ車はかつてのイメージは完全に払しょくされ、クルマ好きでも積極的に選びたいものが増えた。
そして日本の自動車業界はトヨタの独走状態となっている。
(※編註1)特に近年のスーパー耐久では水素エンジン車を投入。スバルやマツダ、日産なども巻き込み、カーボンオフセット燃料を使用する自動車メーカーの輪を広げている。新生代燃料の実用化に向けた実験も兼ねておりその存在感を大きく発揮した
■自工会会長として日本の自動車産業のかじ取りも
また、豊田章男社長は2012年から2014年、2018年から現在まで日本自動車工業会(自工会)の会長も務めている。
豊田章男社長は自工会でも方向性を変え、2017年の入場者77万人から2019年には130万人という成功を納めた東京モーターショーや、2023年の東京モーターショーのJAPANインダストリーショーへの移行といった、改革にも積極的だ。
そして、2021年新年の「日本の就労人口の10%は自動車業界である」ということを強調した“550万人の走らせる仲間”というメッセージや(箱根駅伝の合間のテレビCMもなんだかグッときましたね)、雇用やクルマの税負担といった問題提起など、豊田章男社長が自動車業界に与えた影響は書き切れないほどである。
といったことを総合すると、豊田章男社長はトヨタや日本の自動車業界を超えた日本を代表する経営者だけに、トヨタの業績や自動車業界にとどまらない日本への貢献を考えれば、6億8500万円という役員報酬は安いと言えるだろう。もちろんご本人の思いやトヨタの企業姿勢を加味されての報酬であるので、外野があれこれ言うことではないかもしれないが。
そんな豊田社長は今年5月で66歳と、そろそろ後継者を考える時期だろう。トヨタのトップは言うまでもなく重要な立場だけに大変難しい問題ではあるが、豊田章男社長の後継者もトヨタという日本のトップ企業のトップに相応しい人となることを期待したい。
そしてクルマを選ぶ楽しさ、運転する楽しさを提供してくれるトヨタらしさの存続を願うばかりだ。
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コメント
コメントの使い方豊田社長は創業家当主と言うこともありますので、所有株式数がハンパないです。ざっと2400万株。
直近の2022年の中間配当が28円。
掛け算して、6億7千万円。
後期にさらに期末配当があります。
それらを考えると、役員報酬を敢えて抑えてるのではと勘ぐったり。
トヨタの発展は、豊田章男社長の功績だけではありません。
社員の長年の努力の結果です。
社長ばかりを大きく見せるのはどうかと思います。
1990年頃からのお客様の声をフィードバックすることから始まっています。
その代表例が、池袋にあったアムラックス!
その頃までのトヨタのクルマ造りは腐っていた!
走らない!曲がらない!止まらない!
それがトヨタのクルマでした。