【サニー、ファミリア…】超ロングセラーなのになぜ!? 愛し愛された長寿消滅車

日産 サニー/1966-2004年

日産のダットサン・サニーも一世を風靡した使い勝手のいい小型ファミリーカーだが、ライバルのカローラと違って引退勧告を受け、去っていった。

サニーは高度経済成長の真っ只中にある1966年4月に産声をあげた。ブルーバードの下のポジションを受け持つ機動性の高いファミリーカーで、車名は公募で決定。その時の応募総数は848万通だ。いかに関心が高かったか分かるだろう。

サニーはダイヤモンドカットと呼ぶストレート基調の親しみやすいエクステリアデザインを特徴とする。小さいが、存在感は際立っていた。

デビュー時に積んだのは988ccのA10型直列4気筒OHVエンジン。クラス最高の動力性能を誇り、ハンドリングも軽快だった。サニー1000は発売からわずか5カ月で累計3万台もの販売を記録。積極的にバリエーションを拡大し、1968年春にはファストバックの美しいクーペを送り込んだ。

これに続く2代目のB110型サニー1200も好調に売れ、ライバルのカローラとともに海外でも人気車となった。が、徐々にカローラとの差は開いていった。

1998年10月にサニーは9代目にバトンを託す。新世界基準セダンをコンセプトに開発され、ファンが好む伸びやかな3ボックスフォルムをまとい、エンジンは新設計の1.5L直列4気筒DOHC。燃費向上を図ったリーンバーン仕様や排ガスをクリーン化したLEV仕様も設定した。

期待を一身に背負って登場した9代目だが、販売は伸び悩む。月販6000台を目標にしたが、上回る月は少なかった。そこで2.2Lの直噴ディーゼルエンジンなどを投入し、販売目標も月に4800台に引き下げている。

だが、販売は上昇気流に乗ることはできなかった。2004年秋にティーダとティーダラティオが登場したのを機にサニーは勇退。37年の歴史にピリオドを打った。海外では今もサニーのネーミングを使っているし、ファンも多いから車名の復活を望みたいところだ。

B110型サニー(1970-1973)/通算2代目モデル。写真はスポーツグレードの1200GXを5速MT化した「GX5」。セダンのほかクーペなどもラインナップ

9代目サニー(1998-2006)/歴代最後のモデル。2004年登場のティーダラティオが事実上の後継車となった

マツダ ファミリア/1963-2006年

マツダを代表する小型ファミリーカーのファミリアも惜しまれつつ消えていった。誕生は1963年10月で、デビュー時は商用バンだけの設定。翌64年春にワゴンを、秋には本命の4ドアセダンを追加した。

エンジンは800ccのアルミ合金製直列4気筒OHV。ストレート基調の端正なデザインで、1965年にはスタイリッシュなファミリアクーペ1000を投入した。

ファミリアはカローラ、サニーとともにコンパクトカーのリーダー格となり、安定した売れ行きを見せた。1980年にはFF・2ボックスに転身し、電動サンルーフ付きの「赤いファミリア」は旋風を巻き起こした。

が、バブルが弾けた1990年代に失速。1995年には累計販売台数1000万台の偉業を達成したが、この時期にはファミリアの名声は失せている。

1998年6月に8代目が誕生したが、7代目はコストダウン優先の設計がたたってユーザー離れしていたから、8代目も同様の目で見られた。実際には力作だったが、ユーザーから評価されず、2003年には事実上の後継モデルとなるアクセラを投入。その後もセダンだけは生き延びていたが、2006年春に静かに生涯を終えている。

5代目ファミリア(1980-1985)/月間販売台数でも度々1位を記録。WRCでも活躍するなど、歴代屈指の人気・知名度を誇るモデル

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