「技術の日産」は死なず!! ゴーン体制以降も続く伝統 日産の技術革新を振り返る

■1999年にEV「ハイパーミニ」を販売

日産はコンセプトカーや実験車という形ながら1970年代から電気自動車には非常に熱心で、販売地域などが限定的ではあったにせよ1999年に初の市販電気自動車としてハイパーミニを発表した。

ハイパーミニは軽サイズの2人乗りのシティコミューターで、当時としては画期的なリチウムイオンバッテリーを搭載し、115kmの航続距離を確保。

日産のEVハイパーミニ。樹脂パネルのボディで軽量化を図るなど工夫も見られたが、デザインは某ドイツのコンパクトカーに似ていた

価格は400万円と高価だったが、アルミのスペースフレームに部位に応じて鉄や樹脂を使ったボディ構造やランフラットタイヤの採用など、電気自動車という部分以外の技術レベルも非常に高かった。

ハイパーミニ自体は残念ながら短命に終わったが、その後も日産は電気自動車を基幹技術の1つと判断し注力し続け、2010年にはリーフを市販化。

2017年にリーフは2代目モデルにフルモデルチェンジされ、累計販売台数も30万台を超えた。今後は中国などでの電気自動車の需要の増加も期待される。

【商業的な成功度】
ハイパーミニ自体は商業的に成功しなかったが、今日の電気自動車情勢を考えると貢献度は高い。

■2000年に遅れてでもハイブリットを出した日産

1990年代後半の1997年にトヨタが初代プリウス、ホンダも1999年に初代インサイトというハイブリッドカーをデビューさせた。

当時の日産はドン底だったこともありハイブリッド戦略も遅れを取っていた。

そんな日産も遅ればせながらも2000年に100台限定という形ではあったが、三人掛け×二列シートも持つティーノにインストールする形でハイブリッドカーを市販化した。

ティーノのハイブリッドシステムは、1.8リッター直4+CVTに駆動&回生用と発電用&エンジン始動用という2つのモーターを組み合わせていた。

ティーノハイブリッドは日産も意地で出したかのように思われるが、開発自体は当然ながら長年していたもの

ハイパーミニと同様にリチウムイオンバッテリーを使うというものだった。クルマ自体の完成度は決して高くなかったが、随所に日産らしい技術レベルの高度さが感じられ、長期的な発展性という意味では大きな可能性が感じられた。

しかし当時日産は危機的状況だったのもあり、電気自動車に注力し、ハイブリッドの開発は残念ながら凍結されてしまった。

その後日産の経営がV字回復すると、またまた遅ればせながら2010年に3.5リッターV6+7速ATにクラッチで制御する1モーターを組み合わせたフーガハイブリッド(このハイパワーハイブリッドも商業的には成功とは言えないが)。

2015年に2リッター直4+CVTの1モーターハイブリッドとなるエクストレイルハイブリッド。

そして2016年には1.2リッター3気筒エンジンを発電専用に使い、タイヤはモーターだけで駆動する2モーターのシリーズハイブリッドに分類されるe-POWERが加わった。

e-POWERはノートでデビューした後、今年セレナにも設定され、爽快な加速やワンペダルドライブの新鮮さを主な理由に大人気となっているのはご存知のとおり。

【商業的な成功度】
ティーノハイブリッドは失敗だったが、後の日産ハイブリッドの成功を見るとそれなりの貢献はあったと言える。

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