■エボVで突然発生的に誕生した「ゼロ・カウンター」走法!
その結果、エボVは圧倒的なパフォーマンスアップを果たし、筑波サーキットでのラップタイムをエボIVの1分6秒台から1分4秒台へと一気に向上させることに成功したのだ。
このエボVが僕にとって最もエキサイティングなエボとなった。
初めて筑波サーキットを走らせた時、最初の1周目にスーパークロスの5速ミッションは400mしかないバックストレートで5速に入った。通常は3速で入る100Rの最終コーナーを4速で進入すると、リアがスライドし始めたのだが、グリップが高く安定していた。
すかさずアクセル全開を加えると4輪がパワースライドしながら一定のヨーレートを保ちつつ、カウンターを当てずに最高効率の4輪ドリフト走行(いわゆる「ゼロ・カウンター」走法)が創出されたのだ。
後に土屋圭市氏がこのゼロ・カウンターを見て、「中谷は何千周も走り込んだに違いない」と語っていたが、実は初テストの最初の1周目に突然発生的に生まれた走法だったのだ。
■1998年のWRCをエボVで完全制覇!
このエボVをノーマルに最も近いグループNレース仕様に仕立て、スーパー耐久クラス2カテゴリーにエントリーし、年間チャンピオンを獲得。エボではその後スーパー耐久で50勝した。
また、WRCでもエボVは圧倒的強さを示し、1998年にマニュファクチャラーズもドライバーズもタイトルを獲得。グループNクラスでも無敵の成績を残したのはアドバイスした身として嬉しかった。
その後もエボは年々進化し、最終的にはエボXファイナルで完結した。実はエボV開発時にはより多くのアイテムをオーダーしていたが、開発費の制約から年次進化で徐々に投入していくしかなかった。
ACD(アクティブセンターデフ)やAYC(アクティブヨーコントロール)をレースに投入し、制御や耐久性の進化を試みるよう、僕は強く進言。「S耐制御」という実践的なソフトプログラムを開発した。残念ながら、それはエボにフィードバックされる直前に開発が凍結され、エボXファイナルがラストモデルになってしまった。
エボXのスタイリングは素晴らしかった。初のDCT(デュアルクラッチトランスミッション)にローンチコントロールシステムやサーキットモードも取り入れた。時代が少し早すぎたかもしれないが、現代ではスーパースポーツの常識装備となっていることを思うと、三菱が開発を止めてしまったのが本当に残念でならない。
もし、今エボが復活できるなら、S耐制御をはじめ未投入のメニューがまだ多く残されている。それが実現したら史上最高にエキサイティングなエボを復活させられるのだが……。
【画像ギャラリー】ランエボの開発に深く携わった中谷氏が選んだ歴代で最もエキサイティングだったランエボとは?(24枚)画像ギャラリー
コメント
コメントの使い方当時、ベスモにランエボが出てるビデオは必ず買って見ていました。中谷さんの乗るランエボはずば抜けて速くてカッコいいっという印象が、強く残っています。当時中谷さんが、ランエボの開発に携わったと知って中谷さんを信じて買ったエボ6トミマキは、我が家に来て間もなく20年になります。未だに飽きもこず、乗り続けている素晴らしい車です。そんな素晴らしい車を中谷さん開発して下さってありがとうございます。
運転免許を持っておらずクルマに愛のなかった某会長のせいで…。もっと早く去って欲しかった。
ゼロカウンターは私達読者にも鮮烈に遺っています。ご本人なら更にですよね。
中谷さんの四駆へのイメージがエボVとこの走らせ方に強烈な印象で固定されているのも、当然なのだろうと思います。