マイナーチェンジでこれだけ変わる? 「スバル 2代目インプレッサ」
続いて登場するのは、マイナーチェンジにもかかわらず顔つきが2度に渡って大きく変わり、オーナーを困惑させたスバルの2代目インプレッサだ。
スバル インプレッサはスポーツ志向の強い4WDモデルをラインナップしたドアセダン&5ドアハッチバックで、世界ラリー選手権(WRC)でも活躍を演じている。そんなインプレッサの2代目モデルが登場したのが2000年。丸型のヘッドライトを持つ通称「丸目」フェイスでデビューした。
初代から2代目への変更もかなり大きなもので、まずはここで賛否両論が巻き起こった。とはいえ、この時点で2代目であり、まだインプレッサというクルマのイメージも確立していなかったとは言える。
だが、やはり賛より否の声が大きかったのか、2代目インプレッサは2002年のマイナーチェンジで大幅なフェイスリフトが実行された。
マイナーチェンジ後の2代目インプレッサはヘッドライトの造形が大きく変わり、今度は「涙目」と呼ばれる顔つきになった。しかしまたしてもこの涙目は賛否両論を呼び、2005年には2度目のフェイスリフトが断行された。
3代目となる2代目インプレッサ(ややこしい?)のヘッドライトは通称「鷹目」。涙目とはかなり印象の異なる顔つきに変わり、ついに多くの高評価を獲得した。
この鷹目の意匠は3代目インプレッサにも引き継がれることになり、迷走したインプレッサのデザインもようやく落ち着き先を見つけた。この混乱に巻き込まれた当時のオーナーには少々気の毒な話ではある。
サイバースポーツがなんでこうなった!? 「ホンダ 3代目CR-X」
ホンダ CR-Xというクルマを覚えているだろうか? 初登場は1983年。4ドアセダン・バラードの派生型スポーツモデルがバラードスポーツCR-Xだった。バラードのイメージを残しつつ、コンパクトにまとめられた3ドアアハッチバックボディのデザインは人気を集め、1987年デビューの2代目CR-Xのスタイルも初代の延長線上にあった。
この時期のCR-Xのキャッチコピーは「サイバースポーツ」で、たしかに“サイバー”なイメージが強かった。
そうした流れのなかで1992年リリースされた3代目CR-Xは、それまでのコンセプトを大きく変え、電動オープントップを装備した2シーターオープンスポーツカーへと変貌。ボディフォルムに先代の面影はなかった。3代目CR-Xには新たに「デルソル(太陽)」のサブネームも与えられ、先代までのイメージからの脱却が図られた。
変わったのはフォルムだけではない。電動オープントップの搭載などによって重量が増え、従来のCR-Xが最大の武器としていた軽快でキビキビ走れるという特徴も薄れてしまった。
こうした変化がユーザーには敬遠されて販売台数は低迷。そして1999年に生産が終了となる。CR-Xシリーズもこのデルソルが最後のモデルになった。これは大幅なモデルチェンジの失敗例と言えるだろう。
恐くなった? でも売れました! 「三菱 デリカD:5」
三菱自動車のSUV・デリカD:5は、2007年にデリカシリーズの5代目を意味する「D:5」の名称とともに販売が開始された。本来は商用トラック&ワゴンで始まったデリカにも多数の派生車種が生まれているが、D:5は乗用ミニバンだったデリカスペースギアの後継にあたる。
そんなデリカD:5は比較的コンサバティブなルックスで登場し、以降は大きな変更を受けることなく販売が続けられていた。そしてD:5としては初めての大型マイナーチェンジが行われたのが2019年2月。ここでデリカD:5はマイナーチェンジにもかかわらずかなり大きく変身することになった。
ビッグマイナーチェンジによってD:5の顔つきはかなりいかつくなり、これにはやはり賛否両論が巻き起こった。その変化は三菱が推し進めていた「ダイナミックシールド」に沿ったもので、他社モデルを含めて近年の流行の一種とも言えた。
そして気になるビッグマイナーチェンジ後の売れ行きだが、2019年の販売台数は2万85台で、2018年の1万3502台を大きく上回った。その後は新型コロナ流行や半導体危機の影響を受けながらも堅調なセールスを重ねている。つまりデリカD:5のビッグマイナーチェンジは成功だった。
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