生ける伝説「トミーカイラ」を目撃せよ!! 京都にトミーカイラ・サロンがオープン

生ける伝説「トミーカイラ」を目撃せよ!! 京都にトミーカイラ・サロンがオープン

 往年のカスタマイズ&オリジナルカーブランド、「トミーカイラ」の富田義一氏がこのほど、京都市上京区に「トミーカイラ・サロン」をオープンし、一般公開(事前予約制)を始めている。ショーケースのようなサロンには、マニア羨望の幻の名車である「トミーカイラZZII」が常設展示されており、富田義一氏本人から車両概要や開発エピソードを聞きながら、ゆったりと寛いだ時間を過ごせるのだ。取材した西川淳氏がレポートする。

本文/西川 淳、写真/西川 淳、トミーカイラ

■自らの名を冠したクルマを販売する「夢」をなしえた冨田義一氏

冨田義一氏。「トミーカイラ・サロン」に常設されるレーシングシミュレーターの前で
冨田義一氏。「トミーカイラ・サロン」に常設されるレーシングシミュレーターの前で

 いったい、これまで幾人の酔狂が自らの名前を冠したクルマを作ろうと考えたことだろうか。コンセプトを作り、スタイルを描き、エンジニアリングを具体化し、部品やユニットの調達先を探し、なかには運よくプロトタイプの製作まで漕ぎ着けた例も少しはあった。

 しかし、だ。完全にオリジナル(ベース設計のないという意味で)なクルマを、自らの信じる理想を目指して作りあげ、あまつさえ市販に移す、それも200台以上という規模で、となると、この日本においては名の知れた自動車メーカー以外、そして産業の黎明期を除けば、ほとんどないと言っていいだろう。

 冨田義一は、それをなしえたほとんど唯一の日本人だ。詳しくは彼のブログを読み込んで欲しい。そこには3歳で戸籍筆頭者となった天涯孤独の男が、いかに自動車に心酔し、その世界に足がかりを得て、中古車の販売を皮切りに完全オリジナル設計のスポーツカーを市販できるまでの物語が詳らかにされている。

「アメリカンドリーム」と聞くと、確かに華々しく聞こえるが、それは夢の実現が比較的容易いという環境メリットを指す言葉でしかないように思う。日本でもジャパニーズドリームを実現できるということを冨田義一は証明して見せたのだった。高い山でも登りきれないことはない……。

■1986年に「トミーカイラ」設立

1987年、R31型スカイラインをベースにした日本初の公認チューニングカー、「Tommykaira M30」が販売を開始
1987年、R31型スカイラインをベースにした日本初の公認チューニングカー、「Tommykaira M30」が販売を開始

 冨田義一がスポーツカーの中古車販売からドイツの有名チューニングブランドAMGやHARTGE、さらにはイタリアンスーパーカーブランド(ランボルギーニやデ・トマソ)の輸入元を経て、ついにオリジナルブランド「トミーカイラ」を立ち上げたのは1986年のこと。

 オリジナルブランドを作った究極的な理由は、「人の褌で相撲を取りたくない」だった。それゆえ、当初は市販車ベースのコンプリートチューニングカー(公認チューンドカー販売という分野でも彼は嚆矢である)ビジネスを展開していた冨田だったが、やがて自身が理想とするスポーツカーを作りたくなっていく。必然の結末であろう。

 そうして1995年に誕生したのがSR20DEをミドに積んだ2シーター軽量オープンピュアスポーツカーのトミーカイラZZである(と言ってもそう簡単なことではなかったが、その経緯を記し始めると字数が膨大になってしまう。ぜひ氏のブログを読み込んでいただきたい。膨大なページ数ではあるけれど)。

 生産台数220台という数字は、日本市場でのプライベートブランドによる市販車販売の金字塔であろう。実を言うとその倍ほどの予約を得ていたし、走り出したZZは各方面(例えばかのポール・フレール)から絶賛されてもいたのだが、これまたさまざまな外圧もあって途中で生産を中止せざるを得なくなった。

 代わりに冨田は次のモデルを開発。そうして生まれたのがトミーカイラZZ2で、今度はRB26DETTを積んだ正真正銘の2シーターミドシップスーパーカーだった。

次ページは : ■資金調達できない不運に見舞われるも今回サロンをオープン!

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