日本車が高性能化の道をひた走っていた1990年。まだランエボもインプレッサも存在しないこの時代に、日産がラリー参戦を想定した1台のコンパクトカーを発売した。その名は「パルサーGTI-R」。大衆車のパルサーをベースに、ツインカムターボエンジンと4WDシステムを組み込んだ怪物。その過激すぎた中身を紹介しよう。
文/ベストカーWeb編集部、写真/日産自動車
■全長4mのボディに230psエンジンを押し込んだ!
もともとパルサーとは、サニーの弟分だった「チェリー(1970~1978年)」の後継車として、1978年に登場したコンパクトカーだ。世界各国で販売されるグローバルカーとして多彩なボディとエンジンをそろえた点が特長で、若者から熟年層まで多くのファンを獲得していた。
いっぽうで日産は1950年代から海外ラリーに挑み続けており、そのベース車両はラリー規則や技術的なトレンドを受けて刻々と変化してきた。「公道のF1」と言われたグループBが1986年に幕を閉じ、ベース車に5000台の生産を義務付けるグループAが始まると、日産は小ぶりなボディにハイパワーエンジンと4WDシステムを組み合わせたパッケージングが有利と判断し、パルサーをベースとしたラリーカーの開発に着手する。こうして生まれたのがGTI-Rなのだ。
そのなりたちだが、ボディサイズは全長3975×全幅1690×全高1400mm。車格的には現行のトヨタ ヤリスに近いが、ヤリスに対して120mm短い2430mmというホイールベースが時代を物語る。エクステリアでは、ボンネットに追加された巨大なパワーバルジと大型のリアスポイラーが目印。遠くからみても、ただのパルサーではないことがひと目でわかった。
エンジンルームに押し込まれたのは、明らかに車格と不釣り合いなSR20DET型4気筒エンジン。ブルーバードやシルビアにも積まれた2Lツインカムターボだが、パルサーではさらに4連スロットルを組み合わせ、230psというパワーを絞り出した。
凝った4WDシステムも搭載されている。日産は1987年に登場したU12型ブルーバードに、機械式センターデフとビスカスカップリングを組み合わせた「ATTESA」を搭載し、高い評価を得ていたのだが、パルサーはそのシステムをそっくり移植し、トラクション性能と曲がりやすさを兼ね備えたスポーツ4WDマシンへと変貌を遂げていた。
おまけにGTI-Rは軽かった。安全対策などが比較的手薄だった当時とはいえ、その車重はわずか1220kgしかなく、230psというパワーをもってすれば容易に振り回すことが可能だった。
実際その動力性能は目を見張るもので、当時のベストカーのテストによれば、筑波ラップ1分11秒88、0-400m13.75秒をたたき出している。比較のため同条件で走ったR32型スカイラインGT-Rが筑波ラップ1分11秒44、0-400m13秒44だったから、「GT-Rイーター」という評判はダテじゃなかったわけだ。
コメント
コメントの使い方今度は後出しでノート・GTI-Rでも出したらオモシロいけどね。
N14パルサーGTI-R初期(前期?)はスバル某工場の生産だったとか?
スバルが日産からトヨタ傘下になり、現在のWRC活動にも関係するのでしょうか?
日産も三菱ラリーアートとタイアップして、また参戦したらオモシロくなると思う。
ランチアデルタと、マツダファミリア四駆が先やないかい。