1969年に誕生した日産スカイラインGT-R。その50年の系譜の中には、性能・パフォーマンス的に申し分のない能力を持ち合わせていたにも関わらず、「GT-R」を名乗れなかったスカイラインたちが存在する。
今回ここでは、そんな「GT-R」としては陽の目を見ることのできなかった2台を、その歴史とともに紹介したい。
光が強ければ強いほどその影もまた強くその色を落とすというが、「GT-R」という光があまりに強いから、「GT-R」として名を残せなかったクルマたちの逸話も、印象深く人々の胸に刻まれ、繰り返し語られるのかもしれない。
※本稿は2019年2月のものです
文:ベストカー編集部/写真:ベストカー編集部
初出:『ベストカー』 2019年3月10日号
■「GT-R」誕生と熱狂
いうまでもなくスカイラインGT-Rの歴史は1969年の3代目C10型スカイラインに設定されたPGC10型「スカイラインGT-R」に端を発する。
ファミリーセダンだったスカイラインをレースで勝てるマシンにするためにハイパワーエンジンを搭載し動力性能を引き上げる……という手法は、先代型、まだプリンス自動車工業だった時代のS50系スカイラインにG7型と呼ばれる直6、2Lエンジンを搭載した「スカイラインGT」で実績を上げていた。
プリンスを吸収合併した日産が引き続きスカイラインの開発を進め、3代目には直6SOHC2Lエンジン搭載する「GT」をスタンダードグレードとして設定。さらに戦闘力を高めたレース仕様車として開発されたのが、S20型直列6気筒4バルブDOHCエンジンを搭載した「スカイラインGT-R」だったのだ。
その後1970年にはホイールベースを70mm短縮した2ドアハードトップに移行し、レースシーンでの無敵の大活躍は当時のクルマ好きを熱狂させた……という逸話はあまりにも有名すぎる。
オイルショックや公害問題などが取り沙汰されたこの時代、4代目C110型スカイラインで197台だけGT-Rが市販されたのを最後に、1989年5月21日にR32型でGT-Rが復活するまで16年間、スカイラインに「GT-R」の称号が与えられることはなかった。
■称号としての「GT-R」 その高き壁
R31型までスカイラインの開発を率いてきた櫻井眞一郎氏は、スカイラインにとって“GT-R”は特別な存在で、レースで勝つためのクルマ以外には用いるべき名称ではない、と考えていた。それだけにハードルは高く、充分に高いパフォーマンスを発揮しているにもかかわらず、GT-Rの名称を与えられなかったスカイラインもあった。
そのひとつが1981年に登場した6代目R30型に設定されたRS。
搭載されたFJ20型エンジンはNA仕様が150ps、ターボ仕様では190psを発揮し(最終仕様では205psにパワーアップ)、当時の国産2Lクラス最強を誇ったが、スカイラインは6気筒エンジン以外GTの名称が与えられないため「RS」を名乗ることとなり、当然GT-Rとはならなかった。
続くR31型でグループAレース参戦に向けて500台限定で生産されたホモロゲモデル「GTS-R」は、最後までGT-Rとするか議論されたというが、結局は専用エンジンではないなどを理由にGT-Rとはならなかった。
スカイラインにとって、それほど「GT-R」という名称は特別なものだったのだ。
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