1960年代に登場したウイングボディは、物流トラックの主役の座を平ボディ車から置き換えてきた。その使われ方は「幌の代わりに巨大なガルウイングドアを付けた平ボディ車」とも言えるが、実はウイングボディは平ボディ車が進化したものではない。知られざるウイングボディ60年の歴史を振り返る。
文/トラックマガジン「フルロード」編集部
写真/日本フルハーフ、パブコ、日本トレクス、トランテックス、矢野特殊自動車
※2023年3月発行「フルロード」第48号より
ウイングボディ誕生の背景
ウイングボディの始まりは、今から約60年前。割れやすいガラス瓶入り飲料商品を大量輸送し、かつ迅速/安全に積み降ろしできるトラックボディの開発に端を発する。
当時の拠点間飲料輸送は、大型平ボディ車にボトルケースを積み上げてシートを掛け、ロープで押さえるものだった。これは輸送中の商品の汚れ付着や破損、脱落が発生し、しかも積み荷に登ってのシート掛けは危険で、それに荷役時間もかかった。
そこで、まずボトル輸送用ボディが1965年に加藤車体(現・パブコ)で開発された。
このボディのフロアは、後ろから見ると浅いV字型で、Vの谷間中央にA字型の支持脚を設置していた。これは奥へ傾斜した床と、支持脚にもたれ掛かるように積み込むことからボトルケースが転落しにくい構造で、スロープラックと呼ばれた。
ボディ側面には、ルーフまで回り込む開口部とスライド扉を設け、フォークリフト荷役に対応した設計だった。しかし湾曲したスライド扉の開閉のしづらさに課題があった。
ウイングボディ創成期
67年、ボトル輸送用ボディに左右一対の上開き式ウイングを装備する、というコンセプトを考案したのが日本フルハーフである。このアイデアは幌ウイングで積み荷を守りながら、その開閉操作は手動式ウインチで簡単に行なえるという優れたものだった。
69年4月、日本フルハーフ製のボトル運搬ウイング車が本格的な営業運行に投入された。史上初の実用ウイング車は1軸セミトレーラで、幌ウイングはサイドの約半分をカバーし、下半分はアオリレスのため積み荷の一部が見えていた。
加藤車体では、単車向けにほぼ同じ形態のボトル運搬ウイングボディの生産がスタートした。2社でのウイングボディの生産は、ユーザーの大手物流企業の意向でもあったが、それぞれが得意としてきた製品と生産設備の違いが関係している。
なお、同じころ他の車体架装メーカーでもまったく独自のウイングが考案され、試作まで行なわれていたが、特許権の関係で製品化を断念している。