いよいよ新元号が発表され、今年は(5月1日から)「令和元年」となる。そこでふと振り返ってみたいのは、今から30年前の平成元年(1989年)。
この年の登場車種を見てみると、どうもこの1年は日本自動車史で最も輝いていた時期といえそうだ。
いわゆるバブル期に開発スタートしたモデルが一挙に世へ出てきたこの年、登場車種をあらためて見返すと、まさに綺羅星のごとし。
本企画ではそんな1989年登場車種の中からから特に印象的な5車種をよりぬいて紹介したい。
こうしてみると、はたしてこの30年間で「日本自動車業界」は進化したのだろうか、と少し寂しくなる。クルマそのものが進化したのは疑いようもないが、「楽しさ」という点、「ワクワク度」という点ではどうか。
そして「令和」という時代はどうなるのか。次の元号に切り替わる時に、その時代のクルマ好きの皆さんが、いまわたしたちが感じているような寂しさを感じずにすむよう祈りたい。
文:片岡英明
■初代セルシオ

メルセデス・ベンツやジャガー、BMW、キャデラックなど、長い歴史を誇る欧米の高級車メーカーを震撼させ、高級車の流れを変えてしまったのが、トヨタのセルシオだ。
デビューしたのは、年号が平成になった1989年の秋である。
この年、トヨタは北米で「レクサス」ブランドを立ち上げ、フラッグシップのLS400を送り出した。その日本向けモデルがセルシオだ。
当時の最先端エレクトロニクス技術を駆使して、それまでの高級国産車とはひと桁違う快適性を実現した。
エンジンは4LのV型8気筒ハイメカツインカム。これに電子制御4速ATを組み合わせ、驚くほど滑らかな回転フィールを達成している。
空力性能も世界トップレベルだから静粛性は群を抜いて高いし、燃費もよかった。4輪ダブルウイッシュボーンのサスペンションは、時代の先端を行くピエゾTEMSや電子制御エアサスペンションを設定。部品の寸法誤差や組み付け精度にもこだわり、ブレーキの鳴きにも気を配った。高級車に新しいスタンダードを設けた新世代のプレステージセダンがセルシオであり、この初代が発表された時点で、セルシオはまさに世界の高級車のトップクラスに入っていた。
■初代ユーノスロードスター

1980年代、北米の安全基準が強化され、ロールオーバー試験も加わったから、フルオープンのスポーツカーは居場所を失った。
この危機を救ったのが、89年夏に鮮烈なデビューを飾ったマツダのロードスターである。
ユーノスチャンネルの主役として送り出され、商品コンセプトは「人馬一体の楽しいライトウエイト・オープンスポーツ」。この時期はオープンカーというだけでも珍しかったが、駆動方式もリア駆動のFRと異色だった。走りの楽しさに関してはまったく妥協していない。
軽量で強靭なプラットフォームを新設計し、50対50の前後重量バランスを目指した。サスペンションは4輪ともダブルウイッシュボーンだ。エンジンはファミリアが使っている1.6LのB6型直列4気筒DOHCエンジンを縦置きにし、レギュラーガソリン仕様とした。
最大の魅力は170万円台からの手を出しやすい価格設定。
これに刺激されて、ロードスターは世界中で大ブレイクする。
その後、1.8Lモデルを加え、2代目にバトンを託すまでの8年間に43万台もの生産を記録した。走りの楽しさを徹底追求し、直球勝負したのが大ヒットを呼び込んだのだ。この初代ロードスターは、その後のスポーツカーづくりに大きな影響を与えている。
■Z32フェアレディZ

日本車、そして日産のイメージアップに大きく貢献したのがフェアレディZだ。
誕生から20年の節目となる平成元年の7月に4代目となるZ32型が登場する。
ヨーロッパの一流スポーツカーに追いつき、さらに凌駕することをめざしたこの4代目は、最先端のメカニズムを意欲的に導入して走りのクオリティを飛躍的に高めた。
もちろんルックスも新鮮だ。平成にふさわしいアスリート系のマッシブボディをまとい、Z独自の世界を表現している。
メカニズムも進歩的だった。サスペンションは4輪とも革新的なマルチリンクで、これに4輪操舵のスーパーHICASを組み合わせた。キレのいいハンドリングと軽快なフットワークを身につけ、意のままに操ることができた。アルミキャリパーの対向2ピストンブレーキをおごるなど、ブレーキ性能も一級だった。
エンジンは3LのVG30系V型6気筒DOHCだけに絞り込んでいる。NAエンジンもあるが、主役はパワフルなツインターボ。
このZは北米だけでなく日本とヨーロッパでもファンを増やし、10年以上に渡って第一線で活躍している。
フルオープンのコンバーチブルを復活させたのも、このZ32型フェアレディZだ。
■R32スカイラインGT-R

メカニズムを一新し、ボディもコンパクト化して走りの実力を飛躍的に高めたのが、平成元年の5月に登場した8代目R32型スカイラインだった。
日産社内の啓蒙プロジェクトである「901活動」の成果を生かし、サスペンションは4輪ともマルチリンクとした。
また、リアには位相反転制御のスーパーHICASを採用し、痛快な走りを実現している。エンジンは2LのRB20DE系直列6気筒DOHCとハイフローセラミック/ボールベアリングターボが主役だった。
トップモデルのGTS-tタイプMは刺激的な走りを見せた。
そしてそのR32型スカイラインにおいて、同年8月に仲間へ加わったGT-Rは、2Lモデルのはるか上を行く異次元の走りを披露していた。
この平成最初のGT-Rは2.6Lのセラミックツインターボを積み、加速も豪快だった。駆動方式はFRではなく電子制御トルクスプリット4WDのアテーサE-TSとした。
時代を先取りした4WDシステムは驚異的なトラクション能力を見せ、公道でもサーキットでも群を抜いて速かった。
グループAレースでも圧巻の速さを見せ、連勝街道を突っ走っている。
R32スカイラインは商品としての魅力は飛び抜けて高く、買い得感も群を抜いていたが、その中でも特にこのR32型スカイラインGT-Rは、平成という時代を代表する寵児として、今も多くの人に語り継がれている。
■初代レガシィツーリングワゴン

レオーネからの脱却を図り、新しいクルマにスバルの未来を託そうと考えてスタートしたのがレガシィの開発プロジェクトだ。
乗用4WDの世界を切り拓いたレオーネに代わるフルタイム4WDの高性能モデルとして企画され、「世界一よく走るクルマ」を目指した。
そのためにシャシーや水平対向エンジンを新設計とし、新世代のスバルになって欲しいとの願いからレガシィ(大いなる伝承物)と命名している。
エンジンは新設計の水平対向4気筒だ。
セダンもあるが、主役は快適なキャビンに広い荷室を備えたツーリングワゴンであった。
サスペンションは4輪ともストラットの4輪独立懸架で、時代の先端を行くエアサスペンション仕様も用意。4WDシステムは5速MT車と4速AT車で違う方式としている。
同年秋にDOHCターボのGTを加えたツーリングワゴンは同モデルの販売台数を大きく伸ばし、4WDを採用したスポーツワゴンとしての名声を不動のものとした。以降、ご承知のとおり空前のワゴンブームを巻き起こして市場を席捲。トヨタ、日産、ホンダ、三菱、マツダと次々にライバル車を投入したが、レガシィはそのどのモデルよりも売れ続けた。
北米市場でも大ブレイクし、クロスオーバー4WDワゴンのヒントを得ており、現在のスバル大躍進の礎を築いた。 攻めの姿勢で大成功し、スバルそのものの地位を大きく変えたのがこの年にデビューしたレガシィだった。
■平成という時代、日本のクルマ市場は進化したのか?
平成の30年間、クルマに求められる価値観と優先順位は大きく変わった。
昭和の時代、ファミリーカーといえば3ボックスデザインのセダンだったが、平成になると3列シートのミニバンがファミリーカーの主役になっている。
また、週休二日制の定着によってアウトドアブーム、レジャーブームが到来し、ミニバンとともにクロスオーバーSUVが持てはやされるようになった。
デートカーも2ドアクーペやスポーツモデルではない。なんと、乗用車ベースのクロスオーバーカーやミニバンに変わったのだ。また、21世紀の初頭まではワゴンも人気だった。
セダンは影の薄い存在となったが、消費税の導入によって肥大化し、世界中がビッグカーの時代になっている。クロスオーバーカーもハリアーによってプレミアムSUV時代の幕が開け、世界中に広まった。クロスオーバーの流れは今も続いており、多くのカテゴリーが交錯するようになる。
その多くは、元気がよかった時代の日本から発信したものだ。
そして21世紀を前に地球にやさしいクルマも送り出した。それが世界で初めてトヨタが量産化に踏み切ったハイブリッド乗用車である。
プリウスの成功によって電動化に拍車がかかり、平成の最後の10年にはEVのi-MiEVとリーフが登場した。これに続き燃料電池自動車のMIRAIとクラリティFCも発売に踏み切っている。
パワートレインの多様化はクリーンディーゼルも生み出した。速さだけではないクルマの新しい楽しみ方を提案し、電動化の魅力を訴求するようになったのが平成の30年間だ。自動運転の時代が近づきつつあるが、操る楽しさは何物にも代えがたい。
いろいろなクルマに乗れて楽しかったし、愛車に愛着を持てたのだから、平成のカーライフはよかったと言えるだろう。
ではこれからの30年はどうなるのか。
それはまさに私たちがこれから、クルマにどんなものを期待し、どんなものを手に入れるかにかかっているだろう(そのためにまずは購入費や維持費を安く抑えてもらいたいものだが……) 。