昔からのファンには「水平対向エンジン」、最近では「アイサイト」などの技術でおなじみのメーカー「スバル」。いったいどんな歴史を歩んだメーカーなのだろうか。最近のファンには驚きの、オールドファンには復習を兼ねて、スバルの歴史を紐解いていこう。
※本稿は2023年7月のものです
文/片岡英明、写真/ベストカー編集部、SUBARU
初出:『ベストカー』2023年8月10日号
■スバルの成り立ち
多くの人が知っているように「スバル」は航空機メーカーを母体に誕生した。中島知久平が飛行機研究所を創設したのは1917年のことだ。後に中島飛行機製作所と名を変え、航空機の分野で高い技術力を知られている。創業から100年となる節目の2017年、社名を「富士重工業」から「SUBARU」に変更した。
そのルーツとなる中島飛行機は、戦後になって平和産業へと転換。バスや鉄道車両のボディ、小型モーター、スクーターのラビットなどを生産するようになる。
その後、財閥解体の対象となり、12の会社に分割された。旧中島飛行機グループは再編成を行い、1953年夏に5社を統合する形で富士重工業が誕生。スバルの6連星エンブレムは、この絆を表しているのだ。
最初の作品は、モノコック構造の進歩的な4ドアセダンのP-1(すばる1500)である。
だが、量産化につまずき、少量だけの生産に終わった。この時の経験を生かして設計したのが、軽乗用車のスバル360だ。航空機技術を駆使した軽量で高剛性のモノコックボディを採用し、キャビンも大人4人が座れる広さを確保している。
1958年(昭和33年)春にデビューしたスバル360は大ヒットし、第一次軽自動車ブームをけん引。商用車のカスタムやサンバーも誕生させた。
悲願だった乗用車市場への参入は1966年春で、スバル1000を発売している。時代に先駆けて前輪駆動を採用し、パワートレーンは重心が低く、ミッションを一体化できる水平対向4気筒OHVだ。
1971年にレオーネにバトンを託した。1972年には画期的なエステートバン4WDを仲間に加え、1975年にはセダンにも4WDをラインナップする。また、排ガス対策にも意欲的で、SEEC-Tは触媒を使わずに最初に昭和53年排ガス規制をクリアした。
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