1989年から2004年まで、国産車には「最高出力は280馬力まで」という自主規制がかけられていた。交通死亡事故が急増していたことでかけられた規制だが、この280馬力自主規制に関しては、「正しかった」とする意見と、「よくない規制だった」とする意見と、賛否両論がある。はたして「280馬力規制」は日本車をしあわせにしたのか?? それとも日本車にとって不幸な時代だったのか??
文:吉川賢一
写真:NISSAN、HONDA、TOYOTA
運輸省の提言を受け、自工会が自主的に規制したもの
280馬力までという自主規制は、当時の運輸省(現国土交通省)が、自工会(一般社団法人日本自動車工業会)に、国産メーカーの間で繰り広げられていた過激なパワー競争を抑制するよう、提言したことがきっかけだ。当時の日本は、「第二次交通戦争」といわれるほど、交通死亡事故が急増しており、そんななかでどんどんハイパワー化していく国産車に対し、ハイパワー化は速度超過を誘発するとして、運輸省が待ったをかけたものだった。
「280馬力」という上限値の根拠となったのは、1989年に登場したZ32型日産 フェアレディZだ。Z32に搭載されたV型6気筒3Lツインターボエンジンは、1989年当時で最高出力280馬力を発揮しており、そのZ32が運輸省に認証されていため、「280馬力まではOK」と、自工会側(つまりはメーカー側)が自主的に決めたのが始まりとなる。
以降、日産スカイラインGT-R(R32~R34)、トヨタスープラ(80系)、ホンダ初代NSX、スバルインプレッサ、三菱ランサーエボリューション、マツダRX-7など、1990年代のスポーツカーブームのなかで登場した国産スポーツカーはどれも、カタログ上の最高出力は280馬力だ。
規制によって、メディアは潤った
走りの速さを測る上で、最高出力は明確にわかりやすい指標。280馬力に規制されることは、メーカー側からみれば、アピールポイントがひとつ減ることになるし、ユーザー側からみても、どのクルマがより速いのか、馬力で判断することができなくなっていた。
ただ、「(どのクルマがより速いのか)正解がわからない」ことで、自動車メディアなどは潤っていたようだ。吊るし状態(メーカー純正のまま)でのインプレッションやサーキットバトルなどで、有名レーサーや評論家がどんなコメントをするのか、スポーツカーファンはワクワクしながら雑誌やビデオ、DVDなどを買い漁っていた。「スープラ vs GT-R vs NSX、280馬力ウォーズの行方は!?」なんてタイトルがもしあれば、当時はまだ小僧だった筆者も、見たくて仕方なかっただろう。
国産メーカーとしては、輸入車とのパフォーマンスの差が明確になってしまったことも、不幸なことだった。当時の国産車は、クルマのつくり自体は、すでに輸入車とそれほど遜色ないレベルまで上がっていたのだが、エンジン性能で上限を決められてしまっていたことで、海外で日本の高級車を売ろうにも、現地のライバル車と肩を並べることができるパワートレインがない。海外市場向けにはエンジンを再チューニングして300馬力越えさせて販売したクルマもあったそうだが(もちろん余計なコストがかかっている)、280馬力自主規制によって、国産メーカーは、海外で真っ向勝負を挑むことが難しくなってしまったのだ。
(編集部注/「280馬力規制があったおかげでメディアが潤った」ということはなかったかと思います。進化の度合いや競争の勝ち負けが分かりづらいのは、読者にとってもメディアにとっても、マイナスになりこそすれ、プラスになることはないので…。むしろ海外のメディアでは(規制のない)海外仕様の日本車のカタログに記載されている馬力や最高速を載せていて、それを羨ましく思いながら取り寄せて読んでいました(当時ペーペーだった編集局長T))
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