ドアっつうのはクルマの横にあるものだと思ってた。ところが世界は広い。世の中にはドアが前にあるクルマもあったのだ。しかも作ったのは名門BMWだぜ!
文/ベストカーWeb編集部、写真/BMW、マイクロ・モビリティ・システムズ
■経営危機に陥ったBMWを作った救世主
BMWといえばドイツ車の名門だが、その経営はずっと安泰だったわけじゃない。特に第二次世界大戦直後には、連合国側から3年間の操業停止処分を受け(戦時中に活躍したメッサーシュミットがBMWの航空機部門だったから)、2輪と4輪が生産できない時期があった。
操業停止が明けても事態は好転しない。BMWが4輪製造拠点として使っていたアイゼナハ工場が、ソ連の管轄する旧東ドイツ領となってしまったからだ。やむなくBMWはオートバイ生産で経営を繋ぐ。「501」というモデルによってBMWの4輪車が復活するのは、1951年のことだ。
ところがなにごとも「久しぶり」というのは良くない。BMWが作った501は、ライバルのメルセデス220に性能的に水を開けられてしまう。さらに悪いことに戦後のヨーロッパは、高級自動車を求める市場がほとんど崩壊してしまっていたのだ。
こうしてBMWは経営危機に陥る。なんとかBMWの火を絶やさぬ手段はないものか。悩んだ経営陣は、イタリアで作られているマイクロカー(超小型車)に目を付けた。
マイクロカーはオートバイのエンジンに屋根を付けただけのような乗り物だが、戦後復興へと動き始めた庶民の足として、引っ張りだこの人気だったのだ。
■昆虫のような妙ちくりんな乗り物
BMWが目を付けたのは、イタリアの「イソ(現地読みではイゾ)」という会社。もともとは冷蔵庫や暖房器具を作っていた企業だが、戦後二輪製造に進出し、さらにそのエンジンを作って「イセッタ(現地読みではイゼッタ。『小さいイソ』という意味)」というマイクロカーを生産していたのだ(後にリヴォルタやグリフォといった名車を生み出す)。
もはや自動車を自社開発する余裕がなかったBMWは、このイセッタのライセンス権を買い取ることに決めた。実はイソ自体のイセッタはまるで売れなかったのだが(生産はわずか1500台)、代わってBMW製イセッタが産声を上げたのだ。1955年のことである。
そのイセッタだが、外観は昆虫というか海の生き物というか、実に妙ちくりんなカッコをしている。全長はわずか2285mm、全幅は1380mmだから、日本の軽自動車規格よりさらに1.1mも短く、10cm狭い。
エンジンには、BMWが製造していたオートバイ「R-25」の250cc単気筒エンジンが流用された。駆動する後輪部分もそのまんまオートバイ。便宜的に左右にタイヤがあるがデフはなく(トレッドはたった52cm!)、サスペンションも単純なスイングアームだった(リア1輪の3輪仕様もあった)。
そしてそして、ようやくこの話題になるのだが、このクルマ、側面にドアがない。どうやって乗り降りするのかと言えば、フロントセクションがガラスごとガバッと開くのだ!
「えーハンドルはどうするの?」と思うかもしれないが、ステアリングホイールから前輪(床)へ延びるロッドの途中にいくつかの「関節」があり、ここがぐにゃっと曲がることで対応していた。自動車のステアリング機構というより、子どもが乗るペダルカーの仕組みに近いかもしれない。
コメント
コメントの使い方