第2世代ランサーエボリューションモデルのなかで誕生したのがランエボV。迫力のルックスとラリーシーンでの活躍が顕著なモデルだったが、欲しくて欲しくてしかたなかったベストカーWeb編集部員が当時をプレイバック!
文/ベストカーWeb編集部・渡邊龍生、写真/三菱、ベストカー編集部
■「V次元の、瞬発力。」のコピーが秀逸過ぎた!
そのデビューは個人的にあまりに衝撃的だった。何がってランサーエボリューションVだ。1997年10月の東京モーターショーに出展され、翌1998年1月から販売された第2世代ランエボのなかでもエポックメイキングだったモデル。
1995年にベースモデルとなる5代目ランサーがフルモデルチェンジを受けていたが、ランエボIVは1996年に「最後の5ナンバーサイズエボ」として登場していた。その5代目ランサーがマイチェンを受けたのが1997年8月。ヘッドランプがマルチリフレクター化されるなどのフェイスリフトを敢行。
これまで「あくまで5ナンバーサイズのランエボ」というエボIVから歴代で初めて全長1700mmを超える1770mmのワイドボディになって登場。キャッチも「V次元の、瞬発力。」とめちゃくちゃカッコよくて、個人的に心に刺さっていた。
■ライバルは続々とWRカー規定に移行したが……
このランエボVが誕生した背景には、WRCのレギュレーション改定に触れなければならないだろう。これまでのグループA規定から1997年シーズンは「WRカー規定」が導入された初のシーズンだった。
つまり、ホモロゲ云々ではなく、ベースモデルがFFのみであろうともそれに2Lターボに4WDシステムを無理くり組み込んだWRカーでもラリー専用車として投入できるようになったのだ。
1996年、1997年とWRCで連続ドライバーズチャンピオンを獲得した三菱のエースドライバー、1997年シーズンのトミー・マキネンはランエボIVベースのグループAマシンを駆っていたが、ライバルのスバルワークスでは1995年のチャンピオン、C・マクレーがWRカーのインプレッサWRCで参戦。
また、この1997年シーズンからフォードも初代フォーカスベースのWRカーで参戦。制約の多いグループA規定での三菱は苦戦を予想されていたのだが、エボIIIとエボIVでのグループAカーで1997年シーズンのドライバーズチャンピオンを連覇していた。
■エボ史上初の格上モデルを撃破したのがエボVだった
こうした事情から生まれたランエボVだったが、ブレーキやタイヤ容量の不足を補うべくベースモデルであるランエボVにはさまざまな改良を施していた。
例えば、タイヤサイズはエボIVの205/50R16から225/45R17に拡大され、ブレンボ製ブレーキキャリパーの採用など戦闘力を大幅にアップ。街乗りグレードのGSRばかりだけでなく、競技用のRSには薄板ボディやスーパークロスミッションなどを搭載していた。
その効果はてきめんで、当時の上位クラスであるR33スカイラインGT-R など格上のモデルを上回る筑波LAPタイムを記録。当時、R33スカイラインGTS25tタイプM後期型に乗っていた筆者は「これは買わねばなるまい!」と初めて思わされたエボだった。
あろうことか実際の競技でもランエボVは進化したその後のランエボVIよりもターマックではラップタイムで上回るなど、戦闘力は申し分なかったのだ。
このランエボVベースのグループAカーが投入された1998年シーズン、三菱はT・マキネンとR・バーンズというふたりのドライバーでマキネンの3年連続ドライバーズチャンピオンに加え、三菱初のマニュファクチャラーズタイトル獲得というダブルタイトルを獲得する偉業を達成している。
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