「いかにも挑戦者らしい」ホンダ1300
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1969年に発売されたホンダ初の小型乗用車。当時のライバルはカローラやサニーだが、それらとは180度異なる、FFレイアウトと空冷エンジンを採用していたのがすごい。
空冷については、本田宗一郎氏の「水冷より空冷のほうが単純で部品点数が少ないんだから絶対にいい」という空冷信仰によって無理矢理導入された。宗一郎さんの空冷信仰は初期のF1でも大炸裂しましたが。
性能は、100馬力~115馬力と、相変わらずの高回転高出力型で、最高速も185km/hとライバルを寄せ付けなかったが、トラブルが多かったこともあって販売は伸び悩んだ。
1970年代にそのステアリングを握った経験のある友人から、「(当時としては)ものすごく速かったけど、ものすごいアンダーステアで、とにかく真っすぐ走るしかなかった」と聞きました。
なにせ当時のFF車だし、しかも無理矢理の空冷化でエンジン重量がかさんでしまったからねぇ。そういう車を世に出してしまうところが、いかにも挑戦者ではなかろうか。
「ホンダらしい自信」に満ち溢れていた初代NSX
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これについてはいろいろ言われているので、詳しくは割愛しますが、私が後に開発主査の上原繁さんに聞いて驚愕した部分のみ書かせていただきます。
NSXのミッドシップは、もともとシティコミューターとして研究が始まったというのです。つまり、後のミッドシップ軽・ホンダZみたいなものでしょうか?
でも、やっぱりあんまりコミューターには向かないということで(実際Zも大失敗)、途中で狙いをスーパーカーに方向転換したというのだから恐れ入る。
オールアルミボディの導入もなにもかも、その過程で必要な技術ってことで後から決まっていったそうです。
つまり、当時のホンダは、まったく恐れを知らない唯我独尊のメーカーだったのだ! フェラーリやポルシェなにするものぞ、俺たちが作れば軽くそれを上回れるという自信に満ち溢れていた。
なにしろ、シティコミューターには向かないからスーパーカー作ろうと思っちゃうんだから!
初代シビック「発明こそホンダの真骨頂を体現」
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シビックというより、CVCCエンジンの発明こそがホンダの真骨頂だった。世界で初めて米マスキー法のクリアを実現したのは、副燃焼室を持つ希薄燃焼システムだが、その発想のベースは、F1で培ったレーシングテクノロジー!
当時のレーシングエンジンは、混合気を濃くするほどパワーが出たので、その逆をやれば低公害エンジンができるはずだという、逆転の発想だった。そんなこと、F1をやってなきゃわからなかったわけで、さすがホンダ。
だいたい、四輪への参入と同時にF1も始めてしまうという大胆すぎる発想そのものが、ホンダスピリットであり本田宗一郎そのものだったわけですね。涙が出ます。
実はワタクシ、初代シビックも運転したことはないのですが、初代アコードはあります。
CVCCエンジンは眠く、ホンダマチックはさらに眠く、ボディもユルく、いろんなところがすぐサビるという、当時のホンダ車に共通する欠点だらけの車ながら、どこか都会的で軽快でシャレた雰囲気があり、魅力があったものです。
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