■280km/hオーバーからのフルブレーキで身体が浮き上がる
このブレーキ能力が、セナはずば抜けている。私も多くの高性能車でサーキットを走ったことがあるが、最初のうちはセナが持っているブレーキ能力の一部しか使えなかったほど。
しかし、助手席に腰かけたインストラクターに励まされて280km/hオーバーの超高速域からフルブレーキングを敢行。すると、6点式シートベルトでしっかり縛り付けられていたはずの身体が浮き上がってしまうほどの減速Gを発生して私を驚かせた。こんな経験は、これまで一度もしたことがない。
正直、今回はブレーキの印象が強すぎて、サーキット1周をしっかり攻めきるところまではいかなかった。でも、あれだけコントロール性が高ければ、私でも、ものの1時間でコースを覚えて、それなりの限界でエストリルを走り抜けられたはずだ。
残念ながらすでに完売してしまったが、もっと攻めたい。もっと走りたい。ドライバーをそんな気持ちにさせる〝ウルトラ〟スーパースポーツカーのセナは、やはり伝説的ドライバーの名にふさわしいモデルといえるだろう。
■マクラーレンの歴代14モデルを振り返る
続いてほぼすべてのマクラーレンに試乗している大谷達也氏にマクラーレンの過去のモデルについて振り返ってもらうことにした。
「F1マシンを開発するのは3年間だけ。それが終わったら私をクビにするか、マクラーレンでロードカー(公道を走れる量産車)を作らせてほしい」。
ファンカーや表面冷却といった奇想天外なアイデアを生み出した天才F1デザイナーのゴードン・マーレイは、当時マクラーレンF1チームの代表だったロン・デニスから移籍を打診されると、そう応えたという。
マーレイが手がけたマクラーレン・ホンダは1988〜1990年のF1GPを席巻。アイルトン・セナやアラン・プロストをチャンピオンに押し上げたことはご存じのとおりだ。いっぽうでマーレイはデニスとの約束を取り下げず、1991年以降はF1チームに関わらないと明言。デニスもこの約束を守ってマクラーレン・カーズを設立すると、その技術部門の責任者にマーレイを据えた。
こうして1993年に完成したのが伝説的なスーパースポーツカー、マクラーレンF1だった。以降、単に〝F1〟という場合は、このマクラーレンロードカーのことを指す。
F1の特徴はカーボンモノコックを用いた超軽量設計(V12、6Lエンジンを搭載しながらわずかに1140kg)と高度なエアロダイナミクスにあり、純粋なドライビングの楽しさを追求したハンドリングは多くのマニアを魅了。
わずか64台しか生産されなかったこともあり、新車当時は1億円だった価格は現在10億円とも20億円ともいわれるまで高騰している。
F1はレースでも活躍。1995年には関谷正徳選手らが乗るF1が初出場のルマン24時間で優勝する金字塔を打ち立てた。この時の気持ちを、後にマーレイは「F1グランプリで10回チャンピオンになるよりルマンで1回勝つほうが嬉しい」と語っている。
●1993年 マクラーレンF1(6.1LV12、636ps/66.4kgm)
発売当時価格約1億円
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