ゴードン・マーレー氏は1970年頃F1チームブラバムに加入、1973年から1985年の間はチーフデザイナーとして活躍。1976年に登場し、マーレー氏がF1界に衝撃を与えたマシンがBT46Bだった。通称「ファンカー」。一見普通のF1マシンだが……
「BT46B」を後ろから見る。そこには巨大なファンが! 当時、強力なダウンフォースを生み出すウィングカーの全盛時代。空力的なハンデを負う水平対向エンジンでダウンフォースを獲得したい! その思いから生まれたアイデアが「ファンカー」だった
その「ファンカー」をロードカーに採用することがマーレー氏の積年の夢だった。T.50はそんな氏の思いが具現化されたマシンだ。663psもの強力なエンジンを搭載しながらウィングを使わずに強力なダウンフォースを得る。ファンカーの思想は現在にも通用するものだったのだ
マーレー氏は1986年からマクラーレンに移籍。1988年シーズン16戦中15勝を上げた最強マシンマクラーレン・ホンダのMP4/4を作り上げた
MP4/4のサイドビュー。きわめて全高が低く抑えられていることが分かる。マーレ―氏は古巣ブラバムでBT55なる、まったく同じコンセプトのマシンをデザインしたが、無理がたたった設計により成績は低迷、さらにドライバーの死亡事故が発生したことで失意のうちに移籍することとなった
MP4/4以降はF1のデザインから離れることを決断。当時マクラーレンが進めていたロードカー開発に携わることに。1993年登場の「マクラーレンF1」だ。 6.1L 636psを発揮するBMW製V12を搭載し、1998年までに100台が生産された
常に最適な重量配分を達成するために、ドライバーを真ん中に持ってくる特徴的なシートレイアウト。両サイドのパッセンジャーシートが後方にオフセットされることで居住性も確保される
開発当初、レースに参戦することは想定していなかった。マーレー氏がレースに参加するにあたって耐久性に懸念があると考えていたが、耐久レースの最高峰であるル・マンでなんと総合優勝を果たしてしまった(1995年)
シートレイアウトも市販仕様そのままだ。F1デザイナーであるマーレー氏の開発したマクラーレンF1のパフォーマンスが非常に優れたものであったことが証明された
1993年から1998年まで販売された同車。全生産台数が100台程度と決して販売として成功したわけではなかったが、今のマクラーレンブランドの礎を築いた名車であった。今では20億円で取引されているとも言われている
1990年代マーレー氏はマクラーレンF1の対極とも言える小型スポーツカーも開発。それが「ロケット」だ。鋼管スペースフレームに2人乗りのこのクルマの車重はわずか350kg! バイク用145psのエンジンで軽快に走った
この車両を製造していたのがイギリスの「ライトカー・カンパニー」という会社。このロケットを製造後も同社は存続しており、クラシックスポーツカーのレストアなどの事業を今も行っている
マクラーレンF1の登場から20年が経っても同車を超えるスーパーカーが登場しないとの声にマーレー氏が応える形で2017年に設立されたのがGMA(ゴードン・マーレー・オートモーティブ)だ
そのGMAがマーレー氏の持つアイデア・ノウハウをすべてつぎ込んで世に出したのがT.50だった。特徴的な直径400㎜のファンと可変式リアスポイラーを駆使することで強力なダウンフォースを生み出すことに成功。ブラバムBT46Bの再来だ
運転席レイアウトはマクラーレンF1と同じ横3列レイアウトを採用。写真ではマーレー氏が助手席に収まっているが、長身の同氏がしっかり座れる実用性も持っている
数々の先進的な装備も持ちながら、ミッションはHパターンの6速MTのみ。クラッチも備える。これもマーレー氏のこだわりのひとつだ
ヘッドカバーがゴールドに輝く、コスワース製3.9LV12エンジンをミドに搭載。663psを11500rpmという高回転で発揮する。今どきこんな高回転エンジンを搭載すること自体がレアな話だ
こちらはt.33。T.50に比べるとややスタイルからもややマイルドでプレーンな印象を受ける。しかし、今のT.33はベースモデルであり、ここからの発展形がこれから登場することがGMAから発表されている
T.33の室内。こちらはオーソドックスなレイアウトだ。ハンドル位置も左右から選択可能だ
T.50に追加される予定のサーキット仕様車がT.50sだ。その名に2019年に死去した「ニキ・ラウダ」が冠される。25台生産されるが、その1台ごとにニキ・ラウダのF1勝利にちなんだ固有名称が与えられる。価格は4億6000万円だそうだ……
エンジンはノーマルから50psアップの約710psを発揮し、軽量化も施されるため、そのパワーを受け止めるために巨大なリアスポイラーを装着する