【メーカーとユーザーが乖離】凋落のトリガーを引いた国産名車5選


 日本車が元気で、好調に売れ続けたのは、昭和の時代から平成の時代にかけてだ。全盛期は、西暦で1980年代から1990年代の半ばまでになる。

 バブルが弾けた後は、名車といわれたクルマのいくつかは販売が低迷し、不人気車のレッテルを貼られた。そして栄光の座から滑り落ちたのである。

 その理由はいくつか考えられるが、自動車メーカーとユーザーの思惑が大きくかけ離れ、凋落のトリガーを引いてしまったクルマも少なくない。ボタンの掛け違いなどでファンが離れてしまった5台の国産車について語っていこう。

文:片岡英明/写真:NISSAN、HONDA、SUBARU、MITSUBISHI、TOYOTA

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日産スカイライン(11代目)

販売期間:2001~2006年(セダン)、2003~2007年(クーペ)

インフィニティG35として北米で人気モデルとなったが、日本市場では、「これはスカイラインではない」、とファンがおおいに反発

 日本を代表するスポーツセダンがスカイラインだ。その主役となっているのは2代目の時に登場した「GT」シリーズだ。ちょっと頑張れば手が届く、上質なスポーツモデルがスカイラインのGTだった。

 が、日産の経営が悪化し、あのカルロス・ゴーン氏率いるルノーに助けを請うたことによりスカイラインの行く末は翻弄され、不名誉な神話を加えることになる。その引き金を引いたのが2001年に登場した11代目のV35型スカイラインだ。

 キャッチフレーズは「スカイライン・リボーン」で、パッケージからメカニズムまで、すべてを刷新して登場した。パワーユニットは伝統の直列6気筒ではなく、VQ系のV型6気筒DOHCを積み、2Lエンジンもターボも設定されていない。

セダンから2年遅れで日本デビューしたクーペは、セダンでは無視されたスカイラインのアイデンティティである丸テールを埋め込みタイプで実現

 また、デザインもスカイラインらしさが希薄で、あの鉄仮面や丸型テールランプなど、スカイラインのアイコンは継承されなかったのである。価格もメチャ高くなっている。当然、ファンから反感を買い、乗り換える人が激減した。

 このV35型、正式発表の直前まで、スカイラインとして売り出されるクルマではなかったのだ。が、スカイラインの名で販売すれば日本では売れるだろう、と日産の首脳陣はのん気に構え、売り出したのである。

 当然、熱狂的なスカイラインファンは怒って買わなかった。ファンを甘く見たことに加え、モータースポーツに挑む気概も実力もなかったので、神話は崩壊。凋落の一途をたどったのである。

現行スカイラインは2019年のマイチェンで魅力アップして販売も上向いている。それだけにデビュー時に「日本はついでに売ります」感が出てたのが悔やまれる

ホンダアコード(5代目)

販売期間:1993~1997年

北米マーケットを意識して大型化した5代目アコード。今と違い1990年代は全幅1700mmを超えることはある意味事件だった

 ホンダを世界が認める自動車メーカーに育てたのはシビックとアコードである。

 アコードはプレミアム感覚のミッドサイズカーだった。が、北米での販売比率が高まるにつれ、車格をアッパーミドル寄りとしている。

 4代目の時に主役だった3ドアハッチバックを整理し、1993年に登場した5代目では小型車枠からの脱皮を図り、全車3ナンバー車とした。全幅を1760mmまで広げ、エンジンもリーダーはVTEC(可変バルブタイミング&リフト機構)を採用した2.2Lとしている。

 この5代目は走りの実力は高かったし、北米を主要市場としているから安全性能もクラストップレベルにあった。

 が、当時は、このサイズだと6気筒が主流だし、FR方式にこだわる人も少なくない。それでもワゴンが人気の時代だからそれなりの販売実績を残すなど、健闘していた。

6代目アコードは5代目の痛い経験から5ナンバーサイズで、しかもスポーツセダン色を強めて登場したが、残念ながら時すでに遅しだったのは否めない

 だが、弟分のアスコット/ラファーガが不振だったこともあり、次の6代目では宗旨替えしてダウンサイジングした。

 首脳陣の迷いがユーザーに伝わったのだろう。これ以降、アコードの販売はジリ貧に陥っている。北米では売れに売れたが、セダンブームが去った日本では一気に販売が落ち込んだ。その引き金を引いたのが5代目のアコードである。

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