輸入車に4ドアクーペ流行で再注目!! 2000年代までスバルが積極的に採用し、流麗なデザインを生む「窓枠のないドア」を廃止した意外な理由とは?
スバル車には、かつて窓枠を持たない「サッシュレスドア」を採用した車が多かった。初代から4代目までのレガシィ、初代と2代目のインプレッサ、同じく初代と2代目のフォレスターもサッシュレスドアであった。
各車種が誕生したのは、レガシィが1989年、インプレッサは1992年、フォレスターは1997年だ。サッシュレスドアの廃止は、インプレッサとフォレスターが2007年、レガシィは2009年になる。
つまり、スバルのサッシュレスドアは、1990年代から2000年代に掛けて、同社の象徴的なデザインであった。
一般的に、サッシュレスドアはボディの強度面で不利といわれているが、スバルがやめた背景には、車種の性格が変化したことやそれ以外の実用的な理由も関係しているという。
文:渡辺陽一郎
写真:SUBARU、編集部、BMW
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セドリックも採用!! 4ドアハードトップ流行で普及したサッシュレスドア
サッシュレスドアは、2ドア/4ドアハードトップの流れを汲んだドア形状とされる。普及を進めたのはアメリカ車で、1950年頃から、中央のピラー(柱)とサッシュ(窓枠)を取り去ったボディ形状が見られるようになった。
コンバーチブルの幌によるソフトトップをスチールルーフに変更したような形であることから、ハードトップと呼ばれた。ボディ側面の形状がスッキリと仕上がり、前後のサイドウインドウを開いた時に開放感が得られることも特徴だった。
初期のハードトップは、2ドアボディであったが、1950年代後半のアメリ車には4ドアハードトップが増えて、同様のボディ形状がワゴンにも見られるようになる。
1960年代に入るとアメリカで流行して、1965年には、日本車にも3代目トヨタ コロナに中央のピラーとドアサッシュを持たない2ドアハードトップが加わった。
1970年代に入ると、日産の230型セドリック/グロリアに、このボディ形状を採用する4ドアハードトップが追加された。この後、4ドアハードトップがクラウンやマークIIにも採用されて1980年代に大流行した。
スバルはサッシュレスの弱点補いレガシィにも採用
ただし、中央のピラーがないとボディ剛性を確保しにくいことから、ピラーを備えた「ピラード(4ドア)ハードトップ」が増えていく。これは要するにサッシュレスドアを備えたセダンであった。
時系列を辿れば、1989年以降に登場したスバルのレガシィ/インプレッサ/フォレスターは、この流行に沿ったデザインに位置付けられた。
ところがスバルのサッシュレスドアの歴史はもっと古い。スバルが1962年に試作した小型車の「A-5」も、センターピラーを備えたボディにサッシュレスドアを組み合わせていたからだ。
ピラードハードトップボディを日本の流行から約20年も前に先取りしていた。当時はサッシュの付いたドアを備え、前席側は三角マドを備えるのが定番デザインだったから、スバルA-5の外観は洗練された印象を与えた。
リアピラーとリアウインドウを直立させたクリフカットのボディ形状も新鮮だったが、A-5は市販されてはいない。
この後、1966年に発売されたスバル1000は、三角マドを備えたサッシュ付きのドアであったが、1971年登場のレオーネは、ピラーを備えたボディにサッシュレスドアを組み合わせている。1972年に追加された4ドア、さらにエステートバンも同様だ。
スバルはサッシュレスドアを他メーカーに先駆けて幅広い車種に展開した。
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