三菱ランサーエボリューション
販売期間:1992年(2500台限定)
1992年9月に登場した最初のランサーエボリューションは、当時ラリーなどのモータースポーツを2Lターボ+4WDのギャランVR-4で戦っていた三菱自動車が、「戦闘力向上のためギャランVR-4のパワートレーンをボディサイズの小さいランサーに移植したモータースポーツ参戦ベース車両」というコンセプトを持つモデルだった。
このコンセプトは最初のランサーエボリューションが登場直後にリリースされたインプレッサWRXの初代モデルが、「レガシィのパワートレーンをコンパクトなインプレッサに移植して戦闘力を高める」というものだったのとほぼ同じである。
最初のランサーエボリューションは商業的には期待されていなかったこともあり、ラリー参戦のホモロゲーション取得に必要な2500台限定で販売され、カタログも簡易なものしかないなど、プロモーションもほとんど行われなかった。
しかしフタを開けると2500台はわずか3日で完売。予想外の反響に2500台が追加され、こちらも完売までにそれほど時間はかからなかった。
また最初のランサーエボリューションはここでは「最初の」のという言葉を強調したのと単に「ランサーエボリューション」という車名が象徴するように、継続される計画ではなかったという。
しかし市販車の人気と、モータースポーツを含めたインプレッサWRXとの戦いのためアップデートが必要なこともあり、1994年2月にはエボリューションⅡが登場。
以降インプレッサWRXが年次改良でB型、C型のように進化するのと同様にランサーエボリューションもほぼ毎年のようにバージョンアップし、限定で販売された。
その歴史は2007年登場でカタログモデルとなったランサーエボリューションⅩまで続いた。
ルノークリオウィリアムズ
販売期間:1994~1998年(3800台限定)
日本ではルーテシア、日本以外ではクリオの車名で販売されるクリオはそれまでの5(サンク)の後継車として1990年に登場したコンパクトカーだ。
初代クリオには1.8L、DOHCエンジンを搭載した16Vというスポーツモデルもあったのだが、ラリー参戦のため「2L、NAのスポーツエンジンを搭載したホモロゲーション取得モデル」も必要になり、それが1993年登場のクリオウィリアムズである。
ウィリアムズの車名は当時ルノーのF1活動においてエンジン供給し、1992年と1993年にはドライバーとコンストラクターのダブルタイトルを獲得したウィリアムズチームに由来する。ただクリオウィリアムズの開発にはウィリアムズチームは一切関与してなかった。
このことはともかくとしてクリオウィリアムズはトレッドを含めたサスペンションの強化、エンジンも性能だけでなく耐久性の向上といったモータースポーツでの使用も視野に入れたモデファイがルノースポールの手によって施された。
そこに名門ウィリアムズチームの名も着くのだからクリオウィリアムズの人気は当然で、最初の3800台は即完売となり、1617台が追加生産された。
さらにクリオウィリアムズはのちに2と3が発売され、最終的な累計生産台数は1万2100台となり、カタログモデルに近い存在となった。
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