消費者が喜ぶことが自らの喜びにつながる
それはクルマやバイクづくりだけに止まらない。たとえば、弁当を売るにしても、一日に500食売るといったら、どういう弁当なら500食売り切ることができるだろうか?
そのための弁当作りは、苦痛でしかないはずだ。もし売れなかったら、だれが責任を負うのか?
しかし、買って食べた人が喜べる弁当とは何かを考えれば、いろいろメニューが浮かんでくるのではないか。
それを500円で売るとするなら、材料の仕入れや料理の仕方という、作る側の喜びもさらに生まれる。販売店も、消費者の生の声を聴き、売り切れば達成感が沸き起こるだろう。
クルマも同じだ。年間10万台売るクルマとは、どのようなクルマだろうか。しかし、消費者が喜んでくれるクルマなら、いろいろ案が浮かぶのではないか。それが従業員の喜びになる。
販売店は、一店で何千台も売っているのではなく、一台一台を大切に売っている。その視点で開発すれば、おのずと商品企画が定まってくるだろう。
初代シビックは、自転車店からバイク販売をはじめ、小さな店舗のなかに置いて売ることができる寸法を基準に作られた。
それらすべてが、3つの喜びという言葉一つで表現できる。
世のあらゆる企業が定めた社是や行動指針は、ホンダのそれと大きく違わない。しかし、ホンダほど簡単な言葉で明快に語っている企業は少ない。
意味は同じでも、使う言葉が難しかったり、文章が長かったりすれば、社員すべてに共通の認識となりにくかったり、覚えきれなかったりする。
しかし、3つの喜びとして、買って喜び、売って喜び、作って喜びであると聞けば、新入社員でさえわかり、一度聞けば忘れないのではないか。そして新入社員から役員まで、共通認識を持てる。社員教育さえ不要かもしれない。
3つの喜びに限らず、簡単な言葉で、ものづくりの根幹を語れた本田宗一郎は、やはり尋常ではない逸材である。
ホンダ車が、他と何かが違うとすれば、それは商品企画でも、技術でも、造形でも宣伝でもなく、3つの喜びを目指して仕事を楽しむ従業員の力だ。
ホンダは変わってしまったのか?
ただ、それが近年希薄になっているとするなら、やはり企業規模にあるのだろう。
1990年代にオデッセイなどクリエイティブムーバーの爆発的人気で売り上げを大きく伸ばした当時でさえ、ホンダの世界販売台数は2001年時点で267万台であった。
それは、今日プレミアムブランドといわれる、メルセデスベンツ、BMW、アウディなどの規模と同様だ。
つまり、豪華であるとか高級であるとは別の意味であるにしても、ホンダ車は人間力が投入されたプレミアムな存在であったといえる。
ところが今日、517万台を超えている(2019年)。ほぼ2倍だ。そうなれば、人の気持ちも商品も薄れていくだろう。そこからホンダの今の課題が生じているのではないか。
それでも数を追うことを止めたホンダは、改めて原点に戻る機会を模索することができるだろう。
アキュラを立ち上げなくても、ホンダこそがプレミアムであったという価値を、いまから再挑戦していけば、ホンダ独創の魅力は輝きを取り戻すはずだ。
たとえば、N-BOXやN-WGN、そして新型フィットには、そうした予兆が現れている。その背景にあるのは、やはり開発を牽引した人間なのだ。
コメント
コメントの使い方