■翔が押し売り?!アメ車には懲りた…
銀蝿デビュー後に初めて買ったアメ車が、シボレー・コルベット・スティングレイだった。翔も手に入れていた名車だ。
「子供の時に憧れた(アニメに出てきたレーシングカーの)『マッハ号』にそっくりだった」
しかし、実際に乗ると、いろんな不具合が見えてきた。「タイヤは太すぎるし、(サスペンションは)板バネを使ってるし、まっすぐに走らない。ヘッドライトは、リトラクタブルなんだけど、開くと水がたまっている」
整備に出した直後は調子がいいのだが、しばらくするとトラブルに見舞われた。最も困ったのが、都内の五反田の交差点で、エンジンがストップした時だ。
「何回もセルを回して、やっとの思いで道路の脇に寄せることができた。そしたら、またプスンって、かかんなくなった。もう外車は嫌だと思うようになった」
しかし、約10年後、またもやアメ車の中古を買ってしまう。きっかけは翔だった。
「『今のカマロって格好いい、サカナみたいだよね』って翔さんと話してたのね」。シボレー・カマロZ28コンバーチブルのことだ。
TAKUは30歳の直前で音楽出版社の「日音」に入社し、槇原敬之らさまざまなアーティストを手掛け、ヒットを連発している。翔と雑談していたのは、35歳で退社するまでのことだった。
「日音は赤坂のTBSの旧社屋の中にあった。翔さんからある日電話がかかってきて、『外を見て』って言うから窓の下を見ると、白いオープンカーに乗った翔さんが手を振っていた」
カマロだった。「『TAKUがいいって言うから買ってきた。今、関西から運んできた』って。オレ、買うなんて言ってないのよ(笑)」
価格は400万~500万だったと記憶している。「『ローンは大丈夫、全て手配済み』って言われて。当時乗っていたユーノス・ロードスターを翔さんの店に下取りに出して、そのままカマロに乗って帰ってきた(笑)」
ナンバーが「346」だったので「サンシロー」と名付け、愛情を込めて乗り始めた。ところが、期待はまたしても裏切られた。5・6L8気筒のエンジンはしばしば調子が悪くなった。
電気系統も故障した。「パワーウインドウのスイッチが何度も壊れ、ディーラーに修理に出すと、何万円も取られる。そんな細かい故障が多かった」
しまいには、冷却水を循環させるウォーターポンプがダメになってしまった。それでもうアメ車には懲りた。
■ソアラ、ロードスター、アルファード、ハイエース…日本車サイコー!!
銀蝿の解散後、時代はバブルを迎えようとしていた。そんな頃に、強く惹かれたのがトヨタのソアラだ。初代は1981年の発売で、2代目が出るのは86年。購入したのはその直前、初代10系の2800GTだった。
「オレは新しいもの好き。車歴も初代が多いんです」
先進の技術が投入された高級クーペ。すでにオートクルーズ機能も搭載されていた。メーターはデジタル式。エンジン回転数を伝えるタコメーターの表示も気に入った。速度超過の電子警告音も格好良く聞こえた。バブリーな1台だった。
昭和から平成に変わった年。日本の自動車史に名を刻むオープンカーが誕生した。マツダが開発したユーノス・ロードスターだ。
新しいもの好きを自認するTAKUはすぐに購入を決める。今も根強いファンを持つ初代1600CC。ボディカラーは人気のシルバーだった。重量が1トン未満の軽量スポーツカー。ツーシーターで後輪駆動、変速機はマニュアルだ。燃費も良かった。ヘッドライトはリトラクタブルで、流線形の外観も魅力的だった。
TAKUはそれまで、買ったクルマはパーツを変えるなど自分好みにカスタマイズしてきた。しかし、ロードスターに手は加えていない。シフトノブやステアリングは、初めからMOMO(モモ)社製。イタリアにある自動車パーツの人気メーカーだ。カーマニアの心をくすぐる要素がノーマルで備わっていた。
「軽くて、速い。本当に楽しいクルマだった」
21世紀を迎え、TAKUは新たな1台に巡り合う。2002年から販売が始まったトヨタのアルファードだ。現在の高級ミニバンで、トップクラスの人気を誇る。
「家族ができて、子供が生まれて。銀蝿の活動もあったから楽器も運べる」。乗ったのは初代10系だ。ハンドリング、乗り心地…どれも申し分ない。「もうアルファードで一生いいやって思った」
初代は20万キロ近くまで走り、乗りつぶした。次もアルファード。2台続けて同じ車種は初めてだった。2台目も総走行距離は10万キロを超えた。
次に目に留まったのが、トヨタの商用車ハイエースだ。選んだ理由は「車中泊するため」だった。
購入は2019年6月。ベッドを入れたり、網戸を取り付けたり。新型コロナウイルスの感染が広がったため、車中泊は実行できていない。自粛中だ。
ただ、普段使いしているうちにクルマへの意識が変わってきたという。
「これまでは、そのクルマに乗ってる自分が好きという基準で選んでいた。でも今は、ハイエースが好きで乗っている感覚になる」
ハイエースに乗るのは工具を積んだ職人だったり、サーフボードを載せたサーファーだったり。仕事や遊びの用途で使う人たちから根強い支持を受けている。「ツールとしての楽しさに気付かせてくれたんです」
発売は1967年と半世紀以上も前で、現在のモデルは5代目。しかし、2004年以降、16年間もフルモデルチェンジは行われていない。それだけ完成されたクルマと言っていいのだろう。自分好みに作り替える範囲は広く、奥は深い。TAKUは車中泊仕様にするため200万円近くをつぎこんだ。総額では十分、高級車だ。
こんな変遷を経て、今では国産車が一番だとの思いを強くしている。
「壊れないし、安心できる。結局は、国産車が性に合っているのかな。ヤドカリは自分の身の丈にあった貝殻に入っていくじゃない? これまでは外車に乗っている時、どこか落ち着かなかった。壊れそうだなとか嫌な感じがあった。そんな心配事がロードスターやアルファード、ハイエースにはない」
2020年9月21日は銀蝿結成40周年の記念日だ。無観客配信ライブ「40周年記念ファンクラブイベント♯銀蝿記念日 昭和火の玉ボーイ」が都内のKANDA SQUARE HALLで開催され、ファンに向けて健在ぶりをアピール。そして翌日はTAKUの60歳の誕生日だった。同じ場所で同様に無観客の「TAKU 還暦REBORN! 生誕祭ライブ」が行われ、4人のメンバーが再び変わらぬ熱いサウンドを響かせた。
「還暦ライブで話したんだけど、クルマを乗ってるシーンは銀蝿のメンバーと一緒のことが多かった。オレ、一番年下なので、例えば(横浜の)海岸通りとかを(クルマで)走っている時に、前に嵐さん、翔さん、Johnnyさんがいた。オレだけ東京出身で横浜の道をあまり知らない。だからいつも彼らにくっついて、テールランプが見えていたイメージだった。人生も、嵐さんが結婚して、還暦になって、次に翔さんがそうなる。人生も彼らとドライブしている時と似てるなって思う」
4人の絆の縦糸にも横糸にも「クルマ」がある。
2020年12月23日発売「横浜銀蝿40th2020完全復活ライブ『THE 配信!』コンプリートDVD BOX」https://kingeshop.jp/shop/g/gBZBM-1016/
シングル『昭和火の玉ボーイ』。カップリングには『ツッパリ High School Rock‘n Roll(在宅自粛編)』を収録 https://kingeshop.jp/shop/pages/yg40shtb.aspx
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