■消滅の背景はトレンドの変化とブランドイメージの凋落
モデルライフの中盤まではそれなりに好調なセールスを続け、そして「手頃なスポーティクーペ」としての優秀な資質も備えていた三菱 FTOが、1代限りで消滅してしまった理由。
それは、マクロにはもちろん「スポーティカーというジャンルそのものの求心力が低下したから」という理由があります。
しかしそれ以上に大きかったのが、「三菱自動車という会社自体が苦境を迎えてしまったから」でしょう。
1990年代初頭までの三菱は、RVブームに乗ってパジェロなどが売れに売れたことで「我が世の春」を謳歌していました。
さらにはディアマンテが売れ、ランサーエボリューションもよく売れるという、そんな時代だったのです。
しかし1990年代半ば頃からミニバンが台頭すると同時に、頼みのRVはパジェロのようなヘビーデューティなものではなく「もっとライトなもの」に人気の中心が移動しました。
これにより三菱自動車の業績は国内も海外も、大きく悪化していきました。
そんな時期、泣きっ面に蜂ではないですが1997年に「総会屋利益供与事件」が表面化し、企業イメージは著しく悪化。さらに2000年には「リコール隠し」も発覚し、三菱自動車のブランドイメージは「地の底」と言っていいぐらいの位置まで落ちてしまいました。
これにより連結決算の赤字は1000億円を超え、有利子負債も約1兆5000億円に。
こうなるともう自主再建は難しくなりますので、結局三菱自動車はダイムラー・クライスラー(当時)と資本・業務提携を結ぶことで生き延びるというか、助けてもらうことが決まりました。
そして会社がこのような事態になれば、実際の出資を受ける前に「不採算車種」はバッサバッサと整理されるのが常。
それゆえ当然のようにFTOは、2000年の側面衝突安全基準をクリアするための改修やモデルチェンジなど受けられるはずもなく、あえなく整理の対象となったのです。
リアルスポーツではありませんが、「手頃なスポーティクーペ」としては魅力的だった三菱 FTO。それだけに、2代目・3代目のFTOを見ることができなかったのは、仕方ないとはいえ、やはり少々残念に思います。
■三菱 FTO 主要諸元
・全長×全幅×全高:4320mm×1735mm×1300mm
・ホイールベース:2500mm
・車重:1170kg
・エンジン:V型6気筒DOHC、1998cc
・最高出力:200ps/7500rpm
・最大トルク:20.4kgm/6000rpm
・燃費:―km/L
・価格:228万7000円(1994年式 GPX 5MT)
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