■カーナビがなかった頃の運転方法
逆に言うと、カーナビが当たり前の時代になってから免許を取ったドライバーは、「昔の人は、カーナビなしでどうやって運転していたの?」と、疑問に感じているだろう。実際、知らない場所に行く場合、昔のドライバーはどうやって運転していたのか。
<その1>予習として地図を熟読し、道順を頭に叩き込む。
<その2>出発。道路案内標識を見ながら進む。
<その3>膝の上に地図を開いて起き、信号待ちなどの間にチラチラ見る。
<その4>不安になると停車し、地図をしっかり見て道順を確認する。
<その5>助手席の人に地図を見てもらい、道順の指示を得ながら運転する場合もアリ。
しかしこれらには、それぞれ大きな欠点があった。
<その1>目的地が近ければなんとかなるが、遠い場合、すべてを頭に叩き込むのは非常に難しい。
<その2>昔は、道路案内標識が今よりはるかにお粗末で、大変わかりずらかった。
<その3>地図をじっくり見られないし、わき見運転になると危険。
<その4>いちいち止まらなければならないので面倒くさいし、安全に止まれる場所もそうない。
<その5>助手席の人が方向音痴だと必ず迷う。夫がドライバーで妻がナビゲーターという場合、夫婦喧嘩が多発。
それでも、これら5つを組み合わせることで、なんとか未知の目的地にたどり着いていたのである。
私個人は、幼少期から地図マニアで、地図を読むのが趣味ですらあったので、<その5>は使わず、1から4までで、ほぼ間違うことなく目的地に到着できた。高速道路およびそれに並行する国道の渋滞時には、地図を見ながら延々と抜け道を駆使。その場合は、家々のベランダの向きから南がどちらかを推測するなど、戦国武将並みの観察眼も併用した。
海外ドライブの際は、現地に着くと、なるはやで詳細な道路地図を入手。隣国までカバーできない場合は、行く先々で道路地図を買い足しながら進んだ。
現在は海外でもスマホのグーグルマップが使えるようになったため、そういった手間は一切なくなった。自分の特殊技能が不要になった虚しさを感じるが、やはりウルトラ便利である。
■地図が好きならともかく……方向音痴たちの苦悩!
では、方向音痴のドライバーはいったいどうやって生き抜いてきたのか。方向音痴を自認する2名のドライバーに聞いてみた。
<自動車ライター・伊達軍曹の場合>
「おっしゃるとおり、上記5つの方法を組み合わせて走っていましたが、ほぼ必ず迷うので(笑)、それを見越して早めに出発していました。愛車は常に古めの中古車だったため、ナビの導入は十数年前のポータブルが初めてでしたが、なんとすばらしい発明かと感動しました」
「現在はもっぱらスマホナビを使用しており、道を間違えるケースは激減。それでも出発地点の駐車場等から出る際は、左右どちらに行くか、だいたい間違えます。押忍!」
現在のナビ最大の弱点は、道路に隣接する駐車場から出る場合、左右どちらに行けばいいのかわかりずらいことだ。ナビが「自車が道路上にいる」と誤認するため発生する、小さな問題点である。
<自動車ライター・マリオ高野の場合>
「方向音痴にかけてはワールドクラスの自信があります。ナビがなかった時代は、道に迷うことは当たり前でしたので、特に何とも思いませんでしたが、ディーラーマン時代、約束の時間までにクルマを届ける等の業務においては、自分が今どこにいるのかサッパリわからない状態で、『なにやってんだバカ! 早く来い!』等の矢の催促を食らうと、精神的に極限状態に追い詰められます」
「最も苦手なのは住宅街で、すべての場所が同じ風景に見え、ホワイトアウト状態に陥るのであります。その点、高速道路は非常にわかりやすく、入口で左右を間違えても、次のインターで降りて引き返せばいいので被害は軽微なのですが、高速でも首都高だけは迷路のようで、住宅街同様の状態になりました。首都高では停車することもできないので、ひたすら走り続けるしかなく、出口の見えない絶望状況に陥るのが常でした」
「自家用車にナビを付けたのは、十数年前のガーミンナビ(ポータブル)が初めてでしたが、迷う回数が激減し、神のような機械に出会ったと思いました。現在は、クルマならヤフーカーナビ、徒歩等ではグーグルマップを使用しておりますが、完全にナビに頼るようになったため、方向音痴に拍車がかかったと自覚しております」
このように、昔は方向音痴サンにとって、とても生きずらい世の中だった。方向感覚の平等化を実現したナビの偉大さに、改めて感服する。
【画像ギャラリー】カーナビがなかった頃の運転方法と普及までの変遷!(7枚)画像ギャラリー
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