■清潔感あふれる美麗スタイリング
しかも初代ソアラは、当時の国産車では考えられないほど、スタイリッシュで美しいボディを持っていた。ウエストラインは清潔感あふれる水平基調。フロントウィンドウ、リヤウインドウ、そしてセンターピラーの傾斜は、空中で幾何学的に交差し黄金律を描く。
きわめつけはタイヤの張り出しだ。195/70HR14という贅沢な(当時の感覚です)サイズのタイヤは、前後フェンダーほぼギリギリ。いわゆるツライチに近かった。
当時の国産車の多くは、車体幅に対してトレッド幅が狭く、タイヤがフェンダーの奥に引っ込んでいて、見栄えが非常に悪かった。名車の誉れ高い初代フェアレディZも、ノーマルだとタイヤが奥に引っ込んでいて驚くほどショボい。そんななか、大地を力強く踏ん張るワイドトレッド(前1440mm/後1450mm)で登場した初代ソアラは、それだけでガイシャに見えたくらいである。
初代ソアラから遅れること約半年で登場した2代目セリカXXは、ソアラと同じエンジンを積んでいたが、シャシーベースはセリカ。トレッドもセリカのままだったので(前1430mm/後1390mm)、後輪がフェンダーの内側に引っ込んでいた。断然ソアラの勝ちであった。
こんなにパワフルで、こんなに美しい国産車が登場するなんて信じられない……。ソアラの出現は、当時19歳の青年だった自分にとって、アグネス・ラム(70年代後半に日本を席巻したハワイ出身のグラビアアイドル)の出現と同じくらい衝撃的だった。アグネス・ラムは、当時の日本人の想像を絶する巨乳だったが、ソアラの170馬力のパワーと美しいプロポーションも、日本人の想像を超えていたのである。
■父が購入した初代ソアラはフェラーリ以上?
当時のソアラのCMキャッチコピーは「未体験ゾーン」。スペックと見た目だけで、その言葉は十二分に真実だった。価格は、2800GT(4速AT)で275万円! 今ではフルオプションの軽でもこれくらいの価格になるが、当時は「ものすごく贅沢なお値段」だった。
(ソアラ、すげぇ……。ソアラに乗れたら死んでもいい)
本気でそう思ったものである。個人的な話で恐縮だが、私の場合、それが実現した。父がクルマを買い替えるにあたり、ソアラを強く推したところ、なぜか本当に買ったのだ。それはもう夢のようなクルマだった。有り余るパワー、カッコよすぎるデザイン、光り輝くスーパーホワイト、ゴージャスな室内。世界初のデジタルメーターは未来そのものだった。
20歳の青年だった自分には、「とにかくスゲエ!」ということ以外わからなかったが、自動車評論家の先生が、ドイツ・アウトバーンでスピードリミッターが解除されたソアラに乗り、「デジタルメーターが200km/hを超えた」と語ったのには本当に興奮した。200km/h! それはあの頃の日本人にとって、UFO並みの速度だったのである。
ソアラに対する周囲の反応もすごかった。1980年代、若者のクルマ熱はすさまじく、男子はもちろんのこと、女子もカッコいいクルマに激しく憧れていた。父にソアラを借りて所属サークルの練習に乗り付けると、女子大生たちが「乗せて乗せて~!」と群がった。仕方なく(?)女子4人をソアラに満載し、そこらを一周したほどだ。あんなことは初代ソアラでしか経験していない。フェラーリでも。フェラーリは2名しか乗れないが。
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