「伝説の名車」と呼ばれるクルマがある。時の流れとともに、その真の姿は徐々に曖昧になり、靄(もや)がかかって実像が見えにくくなる。ゆえに伝説は、より伝説と化していく。
そんな伝説の名車の真実と、現在のありようを明らかにしていくのが、この連載の目的だ。ベテラン自動車評論家の清水草一が、往時の体験を振り返りながら、その魅力を語る。
文/清水草一
写真/トヨタ、ベストカー編集部
■知る人ぞ知る「145馬力の壁」
初代ソアラ。それは、日本車にとって、ひとつの大きな革命だった。今の感覚では理解が難しいと思うが、当時(1980年代初頭)の日本の自動車業界には、見えない壁があった。それは、「145馬力の壁」である。つい近年まで、国産車には「280馬力自主規制」というものが存在したが、145馬力の壁はそんな明確なものではなく、どのメーカーもそれを超えようとしないだけの、不思議な壁だった。
当時の国産車は、2.8Lの大排気量でも、2.0Lターボでも、最高出力は最大で145馬力。それを超えているのはセンチュリー(3.4Lで170馬力)とプレジデント(4.4Lで200馬力)のV8だけ。どちらも基本的にはハイヤー用で、一般人とは無関係だ。
かつてはトヨタ2000GTやスカイラインGT-R(ハコスカ&ケンメリ)が、2.0L直6DOHCで150~160馬力を絞り出していたが、1970年代前半の排ガス規制強化で消滅を余儀なくされ、国産車には145馬力を超えるスペックのクルマが消えていた。1980年に自動車免許を取った私は、「国産車は145馬力が上限で、それ以上は許されないのだろう」と思い込んでいたほどだ。
そんな時代に、突如その壁をぶっ壊す存在が現れた。それが初代ソアラ(1981年2月発売)である。
「ツインカム6 2.8L 170馬力」
その数字は、雷のように私を打った。「こんなクルマを出してもいいのか!?」と思った。当時の日本は、クルマだけでなく、あらゆる分野がさまざまな“きまりごと(学歴や終身雇用など)“でがんじがらめで、それを破ることはまずあり得ない社会だったから、この掟破りは衝撃だった。
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