カスタマーエンジンとしてF1に残ったワークスエンジンのその後
これまでも多くのエンジンサプライヤー達がワークス活動の終了とともにエンジンを他に移譲しワークス名を削り、移譲された側のバッジに替えられる例は数多く存在している。もちろんそれぞれ内情は違っているが、ワークスからプライベーターヘの移譲の裏はみな似たようなものだ。古くはワークスプジョーがアジアテックヘ、旧BMWターボがメガトロンヘ、ルノーはプレイライフへ、などなど。
カスタマーエンジンとしてお金を払ったのだからバッジを替えるという方法をとるチームもあった。レッドブルがルノーエンジンにアストンマーチンのバッジを付けたのはまだ記憶に新しい。これらの多くはエンジンサプライヤーとチームの力関係を物語っている。どれもワークスの威力が無くなってから起こる現象が殆どだ。
エンジンサプライヤーは撤退後も人材の雇用面に神経を使っている
フランスやドイツ、イタリアなど労働規約のうるさい国では、自動車会社などがワークスとして企業内の一部門でエンジン開発を行ったならば、そのプログラム終了に伴いスタッフが不必要になったからといって勝手にリストラしてしまうわけにはいかない、という事情がある。それなりの就業保証とか、本当に企業内にそのスタッフの専門職がないのかを検討する必要があるわけだ。
もしあればそのスタッフをそれらの場所に就業させなければならない……とか。もし再開した場合はそれらのスタッフを優先的に再雇用するとか。もちろんリストラ後の賃金保証など、法的に面倒で膨大な作業が必要になってくる。
ワークス活動が終了する前に、エンジン部門のスタッフやインフラごと、そのまま売却してしまえばスタッフをリストラせずに済むし、スタッフ達の仕事もそのまま継続される。さらに売却後、購入会社が上手く行かず倒産等に至ったとしても、それはその会社の問題であって、売却したメーカーの問題ではない。したがって理由はともあれワークス終了間際の売却は、メーカーの責任逃れの後始末だったりするのだ。
またバッジの変更にはエンジンを供給するワークス側の力が弱まり、お金を出して供給を受けているチーム側が強気に出るという現象が散見出来る。実際作っている自動車会社のエンジンに、下手をすればライバルの様な自動車会社名を入れてしまったりも出来るのだから。
成功したPUのコピーを作ってしまえばチームは上位に留まることも可能だ
F1に新規参入を決めたメーカーが逆利用する例もある。パートナーとなったチームのエンジンを徹底研究して自らのエンジン作りに反映させるのだ。これはてっとり早い方法で、F1参入初期にある事例だ。取り敢えずコピーエンジンを作ってしまえば、いきなりそこそこの結果が得られるからだ。
ホンダが単なるカスタマーとはならなかったのは、今後レッドブルのパートナーになるであろうアウディ、ポルシェにノウハウを吸い取られたくないということだ。
【画像ギャラリー】撤退と思われたホンダが’26年まで関わるのはどういうこと? 写真と合わせて解説を見る!(5枚)画像ギャラリー津川哲夫
1949年生まれ、東京都出身。1976年に日本初開催となった富士スピードウェイでのF1を観戦。そして、F1メカニックを志し、単身渡英。
1978年にはサーティスのメカニックとなり、以後数々のチームを渡り歩いた。ベネトン在籍時代の1990年をもってF1メカニックを引退。日本人F1メカニックのパイオニアとして道を切り開いた。
F1メカニック引退後は、F1ジャーナリストに転身。各種メディアを通じてF1の魅力を発信している。ブログ「哲じいの車輪くらぶ」、 YouTubeチャンネル「津川哲夫のF1グランプリボーイズ」などがある。
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