日本のクルマの発展を見つめてきた三本和彦氏だが、本格的にモータージャーナリストとして活動を始める以前は、東京新聞の写真部に在籍していた。
さまざまな事件や社会の出来事をカメラのレンズを通して伝えていたわけで、カメラはずっと大事な相棒だったといえる。今回はカメラの「ベスト・オブ・ザ・ベスト」について語ってもらった。
語り:三本和彦
ベストカープラス2016年2月18日号
学生の頃から惚れ込んだカメラ
今は「写真が趣味」と公言していますが、皆さんもご承知のように僕は写真学校を卒業して東京新聞の写真部に勤務していました。つまり写真は仕事だったわけで、当時の愛機がスピードグラフィック、通称スピグラです。
その当時、スピグラは報道用カメラとして大人気でした。というより、ほかに報道に適したカメラがなかったのかもしれません。このスピグラと脚立を担いで、それこそ事件現場からイベント会場まで走り回って撮影したものです。
スピグラは今でも所有していますが、改めて手にしてみるとずっしり重い。こんなに重かったのかな? と改めて重さを感じます。とはいえ思い起こせば、確かに若い時でもかなりの重さは感じていました。
ですから、当時から小型のライカを自前で購入して持ち歩き、自分用の写真はそちらで撮ってたものです。
その後のカメラの変化は目覚ましかった。35㎜一眼レフが主流になり、今ではデジタル全盛でフィルムは消え去ろうとしています。今後スピグラで撮影することはないでしょうが、やはり手放せないカメラです。
※スピードグラフィックはアメリカのグラフレックス社の主力商品。アメリカのみならず日本やヨーロッパで報道用カメラとして需要が高かったが、35㎜一眼レフカメラの普及で姿を消した
三本和彦
1931年生まれ、東京都出身。東京写真大学(現在の東京工芸大学)写真技術科を卒業後、1956年より東京新聞に入社。その後フリーのモータージャーナリストに転身し、ベストカーを始めとするさまざまな自動車雑誌に寄稿、TV番組の司会なども務めた。現在はベストカーで月に1度「金口木舌」の連載を執筆している。
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