初代プリウスは、無事間に合った“21世紀のカローラ”だった【偉大なる日本車】

 ニッポンのクルマ界が生み出した名車を振り返る本企画。今回は日本のみならず、世界のクルマ事情を大きく変えることになった初代プリウスを取り上げる。

 トヨタは2月に「プリウスPHV」の発売を発表、ハイブリッドの次は“PHV”と力強く宣言したが、現在に続く歩みの第一歩となったのが、この初代プリウスであった。

 初代プリウス(1997~2002年)

 文:鈴木直也/イラスト:稲垣謙治
ベストカープラス2016年10月17日号


トヨタ全体の底力が結集した果実

 初代プリウス誕生のキッカケとなったのは意外なことにベンツのコンセプトカー。1993年のフランクフルトショーに、後にAクラスとなる“ビジョンA93”が出品されたところから、プリウス開発のプロジェクトがスタートする。

 ビジョンA93はコンパクトな5ドアHBだったが、これを見た当時名誉会長の豊田英二さんがそのコンセプトをいたく気に入り「こんなクルマこそウチが作るべきじゃないか?」。そう経営陣に提案した。

 その背景にあったのはバブル崩壊後コストダウンにばかり追われて開発力が停滞しつつあるという危機感。

 英二さんは「原価低減ばかりじゃ技術者が腐っちゃうだろ?」とも言ったそうで、高いハードルを設定して技術陣を活性化させることが、プリウス開発のもうひとつのテーマだった。

 G21と名づけられたこのプロジェクトがまず目指したのは21世紀のカローラ。燃費1.5倍という目標はあったが、しがらみなしにゼロベースで小型車を開発するのが主要テーマ。この段階ではまだハイブリッドは想定されていない。

 ところが、技術担当副社長としてプロジェクトを統括していた和田明広さんが燃費目標を上方修正。「燃費1.5倍ではインパクトがない。2倍を目指すぞ!」とブチ上げたからさあ大変。

 現場の開発責任者だった内山田竹志さん(現トヨタ会長)は困ってしまう。「燃費2倍はコンベンショナルエンジンでは無理、まだ研究中のハイブリッドが必要です。が、そうなると採算性に責任が持てません」そう返答するしかなかった。

 ここでアッパレだったのが当時の経営陣。言い出しっぺの和田さんはもちろん、豊田章一郎さん(当時会長)、奥田碩さん(当時社長)などが、そろって「きみはコストのことは考えんでいい。ハイブリッドで行け!」と全力サポートを約束。

 豊田英二さんから「内山田君、こんな面白い仕事がやれてしかも給料がもらえるなんてわしは君が羨ましい」というエールを送られたそう。

 あまりにも業績がいいから、トヨタの経営陣は官僚的でケチと誤解されがちだが、リスクを取るべき時には果敢に攻めるのがスゴイところだ。

 内山田さんをはじめとする技術陣の努力も賞賛に値するが、大胆にリスクを引き受けたトップの決断力や、採算性向上の努力を粘り強く続けた生産部門など、プリウスの成功はやはりトヨタ全体の底力がモノをいった結果といえる。

 初代プリウス開発はトヨタでなければ成し得なかった偉業。そういっても過言じゃないと思う。

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