【横浜銀蝿40th】最初のクルマはタクシーだった!? ~Johnny クルマ愛を語る(前編)


前に走っているクルマが許せない!!

 この69セリカは、気に入って長く乗ったという。そして、いろんな装備にお金をかけた。ショックアブソーバーはカヤバ(現KYB)製に。それを「シャコタン」(車高を短くすること)にした。

「ガスショックなんで、コーナーを回るとき、カンカンカンって、はねるんです。それがカッコよくて」

 1600CCで、115馬力。高性能のDOHC(ダブル・オーバー・ヘッド・カムシャフト)で、FR(フロントエンジン・リアドライブ)。「そこそこ軽いし、そこそこパワーもある。おもしろいクルマでした。FRだからよく曲がるし、山のコーナーとか攻めましたね」

 特技にも挙げたように、とにかく運転が好きだ。タクシーも運転できる2種免許を持っているほどだ。

「30代ぐらいまで、前に走る車が許せない。抜かさないと気が済まなかった(笑)。全部抜かしましたね。特に、伊豆とか行くとき、東名(高速道路)とか走っているとき、前にいるクルマは必ず抜かしました。先頭じゃないとイヤなんです」

 クルマはこの69セリカを軸に2台体制が続く。コンサート会場へは現地解散、現地集合なので、修理に出すと困るからだ。

「メンバー4人で、会場まで競争しながら走ってました。横浜スタートで高速のインターで待ち合わせ。昔は携帯電話がなかったから、無線で話しながら。レースですよ(笑)」

 そうやってクルマの運転で気分を盛り上げて会場入りし、集まったファンの前で最高のステージを繰り広げた。

「ゴーカートみたいで、おもしろかった」というフィアットX1/9

 アメ車のポンティアック、イタ車のフィアットX1/9、セリカリフトバック、カローラ、セリカXX2800GT…といろんなクルマを乗り継いだ。

 その間、身の回りでも、いろんなことが起きた。

 1983年12月31日で銀蝿は解散。25歳の時だった。その後は、ソロとして活動し、シングルを何枚も出して、アルバムも作った。ただ、銀蝿時代ほどの手応えは感じられなかった。27歳で結婚。29歳で子供が生まれて、考えが変わった。「家族のために生きていこう」。音楽の表舞台から裏方の制作サイドへ。30歳で、銀蝿が所属していたキングレコードに入社した。一大決心だった。

食えなかった時代の2台

 キングレコードに入ったころに乗っていたのが、赤いカローラだ。

 「翔君が、(銀蝿の後で)クルマ屋さんやっていたでしょ。古いクルマだから、5万円でいいよって」

 ソロになって、食えなかった時代。そのころに買った思い出深い1台なのだという。

翔の中古車販売店から5万円で購入したカローラ

「普通に走りましたよ。どんなクルマでも、アルミホイールに太めのタイヤはかせて、車高ちょっと落としただけで印象まったく変わりますね。車は足元ですよ」

 その前のセリカリフトバックも、お金がなかった時代の1台。「友達がカーショップで働いていて、5万円で買ってきたやつを、『お前やるよ』って」。サンルーフがなかったので、屋根を電動カッターで切って作ったという。「とにかく金がないときの2台でした」

 ただ、この後に乗るクルマには、家族を持ち、安定した会社員になって年齢を重ねていくうえでの心境の変化が影響したのかもしれない。30歳代から60歳代の現在まで、同じ海外ブランドのクルマを買い換えてきた。若い時に乗ったクルマとは対極のイメージがある「大人が憧れるクルマ」。ベンツだった。

                             (後編へ続く)

9月24日発売のシングル『昭和火の玉ボーイ』。カップリングには『ツッパリ High School Rock‘n Roll(在宅自粛編)』を収録 https://kingeshop.jp/shop/pages/yg40shtb.aspx

横浜銀蝿のメンバー4人が自らの人生を語った『ぶっちぎり最終章』(講談社)