【横浜銀蝿40th】最初のクルマはタクシーだった!? ~Johnny クルマ愛を語る(前編)

Johnnyと言えば「69(シックスナイン)セリカね」

 次に乗るクルマをどうするか。選んだのが、若者の憧れでもあったセリカだった。トヨタのセリカ1600STは知り合いを通じて25万円で購入。銀蝿のデビュー前後を乗った「学生時代の青春が詰まったやんちゃな時代の1台」だったという。

 そのころはちょうど鎌倉駅前のダイニングバーで翔と一緒にアルバイトをしていた。場所はまさに湘南。夏になると、地方から多くの女の子たちがやってきた。

「お店に来た女の子に声をかけて、バイトが終わると翔君と女の子たちと一緒に、出陣だぁ!!って」

 当時は伊豆半島の白浜がナンパの聖地だった。バイトのあとで、下田までクルマを飛ばしたこともよくあった。「午前1時ごろに着いて車内で仮眠して、そして女の子とお友達になって(笑)」

 銀蝿でデビューしたのが、22歳の時。関東近辺のコンサート会場では、メンバーは現地解散、現地集合だった。そこに乗っていったのも、このセリカ1600STだった。

 買い換えたのはデビュー翌年の1981年。「『ツッパリHigh School Rock‘n Roll』が売れて、初めて給料みたいなものが出た。そのお金で買ったのがセリカのダルマです」

 “ダルマ”の愛称があるセリカ1600GTV。6年か7年落ちの中古でこれも28万円ぐらいだったという。もともとボディの色はモスグリーンだったが、1台前の1600STのオレンジが気に入っていたので、全く同じに塗り替えた。そして、サイドにはレーシングカーのように「69」の白い文字をシールで貼った。

「シックスナインセリカ」の愛称でファンの間でも有名だったセリカ1600GTV
「シックスナインセリカ」の愛称でファンの間でも有名だったセリカ1600GTV

 コンサート会場に乗り付けるから、周囲の目にも留まる。「当時のファンは、Johnnyって言えば、『シックスナインセリカね』って」

 因みに「69」の意味を訊ねると…「なんだか、エッチっぽいじゃないですか(笑)。馬鹿っぽくて、いいでしょ。全てが受け狙いです!」

 ファンだけじゃない。学生時代からの“天敵”にも有名だったという。

「(銀蝿の衣装は)いつもドカン(のズボン)と革ジャンだったでしょ。横浜の自宅から渋谷の事務所まで、クルマで行って。そこからテレビ局とか回って、またクルマで帰る。でも、そのままの恰好じゃ、そこから遊びに行けないんで、第三京浜(東京と横浜をつなぐ有料道路)の路肩で着替えて。それを(神奈川県警の)第二交機(第二交通機動隊)が見ていて。あるとき近づいてきて『お前、いつも、あそこで着替えてるだろ』って(笑)」

前に走っているクルマが許せない!!

 この69セリカは、気に入って長く乗ったという。そして、いろんな装備にお金をかけた。ショックアブソーバーはカヤバ(現KYB)製に。それを「シャコタン」(車高を短くすること)にした。

「ガスショックなんで、コーナーを回るとき、カンカンカンって、はねるんです。それがカッコよくて」

 1600CCで、115馬力。高性能のDOHC(ダブル・オーバー・ヘッド・カムシャフト)で、FR(フロントエンジン・リアドライブ)。「そこそこ軽いし、そこそこパワーもある。おもしろいクルマでした。FRだからよく曲がるし、山のコーナーとか攻めましたね」

 特技にも挙げたように、とにかく運転が好きだ。タクシーも運転できる2種免許を持っているほどだ。

「30代ぐらいまで、前に走る車が許せない。抜かさないと気が済まなかった(笑)。全部抜かしましたね。特に、伊豆とか行くとき、東名(高速道路)とか走っているとき、前にいるクルマは必ず抜かしました。先頭じゃないとイヤなんです」

 クルマはこの69セリカを軸に2台体制が続く。コンサート会場へは現地解散、現地集合なので、修理に出すと困るからだ。

「メンバー4人で、会場まで競争しながら走ってました。横浜スタートで高速のインターで待ち合わせ。昔は携帯電話がなかったから、無線で話しながら。レースですよ(笑)」

 そうやってクルマの運転で気分を盛り上げて会場入りし、集まったファンの前で最高のステージを繰り広げた。

「ゴーカートみたいで、おもしろかった」というフィアットX1/9
「ゴーカートみたいで、おもしろかった」というフィアットX1/9

 アメ車のポンティアック、イタ車のフィアットX1/9、セリカリフトバック、カローラ、セリカXX2800GT…といろんなクルマを乗り継いだ。

 その間、身の回りでも、いろんなことが起きた。

 1983年12月31日で銀蝿は解散。25歳の時だった。その後は、ソロとして活動し、シングルを何枚も出して、アルバムも作った。ただ、銀蝿時代ほどの手応えは感じられなかった。27歳で結婚。29歳で子供が生まれて、考えが変わった。「家族のために生きていこう」。音楽の表舞台から裏方の制作サイドへ。30歳で、銀蝿が所属していたキングレコードに入社した。一大決心だった。

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