■「知らない」の諦めを、「知っている」の希望に変えたい
12月15日。
手だけで運転できるようになったボルボは、無事納品された。
母が独断で決めたナンバープレートは「いい奈美(1173)」、わたしの名前だった。
思いかえせば、父が亡くなり、母が歩けなくなったときの岸田家は、絶望のドン底を越えた、ズンドコだった。
車いすに乗った母と気晴らしにどこかへ出かけようとしても、街は階段のある店や、狭い通路しかない店ばかりで、好きなところを選べなかった。住む家も、着る服も、運転する車も、今までは「これがいい」より「これしかない」で、選ぶほかなかった。
必死で生き延びたはずの人生が、気がつけば、小さなガッカリの連続になる。積み重なったガッカリは、諦めに変わる。サッサと諦めることに慣れると、前向きに生きる活力なんてバッキバキにくじかれる。
「歩けなくなったら、家族の役になんてもう立てない」
「歩けなくなったら、どうせ車なんてもう乗れない」
いじけていた時期も、わたしたちにはあった。だけど最初から諦めていては、損だ。希望のために願い続け、助けを求め続け、前を向き続けていれば、その声は誰かに必ず届く。
今回だって、わたしたちに出会い、情報を教えてくれたり、ひと肌脱いでくれたりしてくれた人たちがいなければ、ボルボには乗れなかった。
「知らない」の諦めを、「知っている」の希望に変えたい。だからわたしは、これを書いた。目が見えなくても、車を運転できる場所が用意されているのを知っているだろうか。それだって、誰かの希望の仕事だ。
納車されたボルボを母が運転し、家に到着した。
車から離れ、ふと後ろを見ると、弟がボンネットのあたりを、しばらくナデナデとさすっていた。
「きてくれて、ありがと」
弟は言った。車はいきものなのだ、と思った。
人と同じように、大切な人の命を守り、思い出ごと積み込み、希望に向けてブイブイ走る。
だから、いつまでも愛しい。
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