■「いつか立派な大人になったら、ボルボに乗ろう」
父は、年季の入ったアパートの古さを盛大に活かし、リノベーションする建築家だった。何度も足を運んだ、西欧や北欧の美意識に、心底惚れ込んでいた。ボルボはスウェーデンで生まれた車だ。
阪神大震災で、実家や車が壊れていくのを見て「いざという時も、めったに壊れないくらい頑丈で、乗っている家族を守ってくれる車がいい」と、ボルボに全信頼を寄せ、父は購入した。
大抵のことを忘れるボンクラのわたしが、父とボルボとの思い出は、色鮮やかに覚えている。
春になると、後部座席をベッドみたいにして、母とわたしと弟を乗せ、神戸の田舎町から東京ディズニーランドまで8時間もの道を、夜通し走ってくれた。ZARDの熱唱と、「静岡が永遠に終わらん」という嘆きを、寝ぼけ半分で聞きながら、すごく楽しかった。
父の愛と誇りが詰まったボルボを、父の死と同時に、わたしたちは手放した。アルバイトを始めたばかりの母と、学生のわたしと、障害のある弟では、維持していくためのお金が足りなかった。
悔しくて、申し訳なくて、たまらなかった。
いつか立派な大人になり、たっぷりお金を稼いで笑いが止まらんようになったら、ボルボに乗ろう。いや、乗ろうと思ってたけど、いつまでも運転免許がとれないわたしにはセンスがなさすぎるので、せめて買おう。
そう決めていたのだが、運命の日は想定よりずっと早く訪れた。
■「買います、現金一括で」
「ボルボ V40は昨年で生産中止になりました」
風の噂が、寝耳に水で、一事が万事、大わらわである。なぜかというと、母が運転できるボルボの車種はV40のみだったからだ。
車いすから乗り移れる車高の低さ、駐車場に停めたとき車いすを横づけできるスペースの残る横幅。この条件を満たしているのが、V40のみだ。V60でもV90でもいけない。
母とわたしと弟は、「サザエさん」エンディングのフォーメーションで、ボルボ屋さん(ディーラーという名称を知らなかった)に駆け込んだ。山内さんという新人の販売員が対応してくれたのだが、なんと、V40はもう1台しか残っていなかった。
いま買わなければ、もう一生、家族でボルボに乗れないかもしれない。わたしは手に汗を握りながら、パンフレットの値段を見た。
「高い……!」
さらに、ブレーキとアクセルを手で操作する装置、車いすの移乗をサポートする板の設置で、改造費が55万円ほど容赦なくかかってくる。高いって。
しかし、ボルボ屋さんに来たときから、わたしの腹は決まっていた。
貯金と印税で、ギリギリ足りるじゃないか。わたしは作家といえど、しがないフリーランスなので、まともにローンが組めない。
「買います、現金一括で」
母はわたしを二度見し、山内さんは二度聞きした。
決意は揺らがなかった。
お金はまた貯めたらいい。予想もしなかった喪失に振り回されてきた人生だ。来るかわからない非常事態に備えるより、父が愛し、母が熱望した車をパアッと買って、家族でまた、ドライブに乗り出そうじゃないか。そっちの方が、よっぽど意味のある、お金の使いみちに思えた。
実はそこからが大変で、なんと、ボルボのような外車を障害者向けに改造するという事例があまりないらしく、引き受けてくれる工場がなかなか見つからなかった。
詰んだかと戦慄したが、なんと山内さんが「僕は来月、アウディに電撃異動になってしまったので、これが最後のボルボ納車なんです。どうしても岸田さんにV40を乗ってもらいたい」と衝撃的な告白とともに駆け回ってくれ、ニッシン自動車工業関西の山本社長のもとにたどり着き、改造を快諾してもらえた。
難しい改造だ。国産車と比べると配線は違うし、一台ずつ器具を細かく調整しないといけない。失敗して車体に不具合が出れば、弁償だ。
それでも山本社長が引き受けてくれたのは「僕にも足が不自由な父がいるから、どこへでも連れていってくれる車の大切さがすごくわかるんです」という理由だった。だれかのためを思った仕事が、また別のだれかを救っている。こんな素晴らしいことが、あるだろうか。
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