免許がないのに全財産を投じてボルボを買った作家と家族の話


■「買います、現金一括で」

「ボルボ V40は昨年で生産中止になりました」

 風の噂が、寝耳に水で、一事が万事、大わらわである。なぜかというと、母が運転できるボルボの車種はV40のみだったからだ。

 車いすから乗り移れる車高の低さ、駐車場に停めたとき車いすを横づけできるスペースの残る横幅。この条件を満たしているのが、V40のみだ。V60でもV90でもいけない。

ボルボV40。初代は1995~2004年に発売していったん生産終了、現行型となる2代目(写真)は2012年に発売開始し、2019年に生産終了を発表。XC40などのSUV車に生産と開発資源を注力する狙い。現在V40は在庫販売のみ

 母とわたしと弟は、「サザエさん」エンディングのフォーメーションで、ボルボ屋さん(ディーラーという名称を知らなかった)に駆け込んだ。山内さんという新人の販売員が対応してくれたのだが、なんと、V40はもう1台しか残っていなかった。

 いま買わなければ、もう一生、家族でボルボに乗れないかもしれない。わたしは手に汗を握りながら、パンフレットの値段を見た。

「高い……!」

 さらに、ブレーキとアクセルを手で操作する装置、車いすの移乗をサポートする板の設置で、改造費が55万円ほど容赦なくかかってくる。高いって。

 しかし、ボルボ屋さんに来たときから、わたしの腹は決まっていた。

 貯金と印税で、ギリギリ足りるじゃないか。わたしは作家といえど、しがないフリーランスなので、まともにローンが組めない。

「買います、現金一括で」

 母はわたしを二度見し、山内さんは二度聞きした。

 決意は揺らがなかった。

 お金はまた貯めたらいい。予想もしなかった喪失に振り回されてきた人生だ。来るかわからない非常事態に備えるより、父が愛し、母が熱望した車をパアッと買って、家族でまた、ドライブに乗り出そうじゃないか。そっちの方が、よっぽど意味のある、お金の使いみちに思えた。

 実はそこからが大変で、なんと、ボルボのような外車を障害者向けに改造するという事例があまりないらしく、引き受けてくれる工場がなかなか見つからなかった。

ボルボV40の室内(写真は左ハンドル仕様)。落ち着いた内装とスペース効率には定評があるが、手動運転装置や車椅子収納のための架装にはハードルが高そう…

 詰んだかと戦慄したが、なんと山内さんが「僕は来月、アウディに電撃異動になってしまったので、これが最後のボルボ納車なんです。どうしても岸田さんにV40を乗ってもらいたい」と衝撃的な告白とともに駆け回ってくれ、ニッシン自動車工業関西の山本社長のもとにたどり着き、改造を快諾してもらえた。

 難しい改造だ。国産車と比べると配線は違うし、一台ずつ器具を細かく調整しないといけない。失敗して車体に不具合が出れば、弁償だ。

 それでも山本社長が引き受けてくれたのは「僕にも足が不自由な父がいるから、どこへでも連れていってくれる車の大切さがすごくわかるんです」という理由だった。だれかのためを思った仕事が、また別のだれかを救っている。こんな素晴らしいことが、あるだろうか。

架装を引き受けてくれ、改造へ。写真左は筆者のお母さま

■「知らない」の諦めを、「知っている」の希望に変えたい

 12月15日。

 手だけで運転できるようになったボルボは、無事納品された。

 母が独断で決めたナンバープレートは「いい奈美(1173)」、わたしの名前だった。

無事納車。本稿は筆者(岸田氏)から写真もお借りしたのですが、クルマには、人を笑顔にする力があるんだと久しぶりに確信できる写真でした

 思いかえせば、父が亡くなり、母が歩けなくなったときの岸田家は、絶望のドン底を越えた、ズンドコだった。

 車いすに乗った母と気晴らしにどこかへ出かけようとしても、街は階段のある店や、狭い通路しかない店ばかりで、好きなところを選べなかった。住む家も、着る服も、運転する車も、今までは「これがいい」より「これしかない」で、選ぶほかなかった。

 必死で生き延びたはずの人生が、気がつけば、小さなガッカリの連続になる。積み重なったガッカリは、諦めに変わる。サッサと諦めることに慣れると、前向きに生きる活力なんてバッキバキにくじかれる。

「歩けなくなったら、家族の役になんてもう立てない」
「歩けなくなったら、どうせ車なんてもう乗れない」

 いじけていた時期も、わたしたちにはあった。だけど最初から諦めていては、損だ。希望のために願い続け、助けを求め続け、前を向き続けていれば、その声は誰かに必ず届く。

 今回だって、わたしたちに出会い、情報を教えてくれたり、ひと肌脱いでくれたりしてくれた人たちがいなければ、ボルボには乗れなかった。

「知らない」の諦めを、「知っている」の希望に変えたい。だからわたしは、これを書いた。目が見えなくても、車を運転できる場所が用意されているのを知っているだろうか。それだって、誰かの希望の仕事だ。

 納車されたボルボを母が運転し、家に到着した。

 車から離れ、ふと後ろを見ると、弟がボンネットのあたりを、しばらくナデナデとさすっていた。

「きてくれて、ありがと」

 弟は言った。車はいきものなのだ、と思った。

 人と同じように、大切な人の命を守り、思い出ごと積み込み、希望に向けてブイブイ走る。

 だから、いつまでも愛しい。

写真右が今回の記事筆者である岸田奈美さん、写真中が母親の岸田ひろみさん、写真左が弟の岸田良太さん(写真/樹利佳(なりか))
岸田家のこと、家族のこと、笑って泣ける名著です。『家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった』岸田奈美著

【画像ギャラリー】…全財産をぶっこんだボルボV40の雄姿と岸田ファミリー

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