■SUV、HVモデル数
SUVやハイブリッド車のモデル数はどれだけの変化があったのか? SUVは平成元年の1989年は“クロカン”などと呼ばれていたが車種数は11モデル。これが2018年には28モデルまで増えた。
一方のハイブリッド車は誕年生したのが1997年のプリウスから。それから21年後の2018年には58モデルまで増えた。
■自動ブレーキの普及
日本で初めて自動ブレーキ搭載車が登場したのは平成21年の2003年。4代目インスパイアに搭載されたのが最初で、2010年には5代目レガシィに「アイサイトバージョン2」を装備してヒット。その後市場ニーズが高まり、軽自動車にも装備されるようになった。
■燃費性能
燃費性能の変化はどうか? 平成初期の燃費モードは10・15モードだったが、国交省がJC08モードに換算したガソリン乗用車の平均燃費値のデータによると、平成5年度の1993年度は11.1km/Lだったが、初代プリウスが登場した1997年度頃から急上昇。2016年度には21.9km/Lまで平均燃費が伸びている。
■ガソリンスタンドの数
ガソリンスタンドの数は平成6年度の1994年度に6万421件でピークに達し、その後は減少。2019年度は22万9637件とピーク時の半数以下まで減った。
なお、セルフサービスの給油所の数は1989年度は全体の0.2%だったが2019年度は34.8%まで増えている。
■平成を代表するスポーツカーが一気に消滅! 2002年8月の衝撃
●排ガス規制により一斉に消えた!
2002年は、クルマ好きにとって決して忘れることができない年となった。2000年10月より施行された新短期排出ガス規制(平成12年排出ガス規制)により、強化された排出ガス基準をクリアできなかったクルマの生産猶予期限を迎えたことで、国産スポーツは、続々と生産終了へと追い込まれることに……。
結果的に、スープラ、スカイラインGT-R、シルビア、RX-7といった日本を代表するスポーツカーが、その歴史に幕を閉じた。各社は、フィナーレを飾るべく、最終限定車を投入。そのなかでもGT-R「ニュル」やRX-7「スピリットR」は、ファンのなかで特別な存在となっている。
直接的な原因は、排ガス規制の強化なのは間違いない。しかし、絶版となった最大の理由は、スポーツカー販売の不振にあった。
今なお人気の高いシルビアさえ、S15型の開発には開発費の確保に悩まされたと聞く。さらにいえば、長らく延命措置が図られていた32型フェアレディZは、ひと足早く2000年で絶版。現実は厳しかったのだ。
バブル期以降、自動車のニーズは、高級・高性能から多目的・実用へと次第にシフト。クロカン系が人気だったRVも主役がミニバンへと移る。高性能車のニーズも、セダンからスポーツワゴンに集約されていった。
そこにハイブリッド車、プリウスの誕生を発端としたエコカーブームが巻き起こる。その結果、将来の顧客となるはずの若者の気持ちもスポーツカーから離れていくことになった。
また自動車メーカーも、バブルの傷を引きずった経営の改善と、迫りくる環境対応のために、大きな決断を迫られていた。つまり合理化による収益改善が必須だったのだ。その一例が、トヨタと日産の直列6気筒ガソリンエンジンの廃止だ。次世代を多様性のあるV6に託すと決断した。
無論、コストさえ掛ければ、国産スポーツカーのさらなる延命は可能であっただろう。しかし、残念なことに、それだけの体力が当時の自動車メーカーにはなかった。
いすゞも環境対応を断念し、採算性の悪い日本での乗用車事業撤退を決断。国内向けのビッグホーン、ミュー、ウィザードの生産を終了し、他社からのOEM車と合わせて販売を2002年で終了している。
確かに直接的な原因は、自動車メーカーの厳しい決断にある。しかし、その裏には、買わない消費者の存在があることを忘れてはならない。あの悲劇を繰り返さぬためにも、我々がスポーツカーなどの特別なクルマを買い続けることも重要なのだ。
(TEXT/大音安弘)
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