佐藤琢磨は自らが抱き続けた“夢”を実現した。夢を現実に変えた琢磨の原動力。そして、彼が夢の先に見ている“夢”は何なのだろうか。
2017年5月28日に日本人初(アジア人としても初)のインディ500優勝という偉業を成し遂げた佐藤琢磨選手が、この6月に一時帰国し、東京都港区青山のホンダ本社にて凱旋取材会を実施。
そこで本サイトの単独インタビューに答えてくれた。
文:ベストカーWEB編集部/写真:奥隅圭之、INDY CAR
「1位と2位でこんなに差がでるレースってないですよね?」
——改めてインディ500優勝、おめでとうございます。
佐藤琢磨選手(以下、琢磨) ありがとうございます。
——2013年にインディカーシリーズで琢磨選手が初優勝をした時、「優勝で変わったことはありますか?」という質問をしました。
当時、琢磨選手は『メディアに取り上げていただいた量と質は、(2位を獲得した時に比べて)100倍くらい大きかった』と答えてくれましたが、今またあの時と同じ質問をさせてください。『インディ500優勝』で変わったことはありますか?
琢磨 インディカー初優勝も凄く大きなことでしたが、北米におけるインディ500の扱いは本当に凄いんだなと。特に1位と2位でこんなに(扱いに)差が出るレースってほかにないですよね? (メディアの取り上げ方も)比べものにならないほど大きかったですし……今は感謝の気持ちしかないですね。
「(賞金は復興支援に)何かの形で役立てたい」
——優勝賞金の約3億円、何に使いますか?
琢磨 全部ドライバーが貰えるわけではないんですよ(笑)。ただ、本当にこれまで僕も犠牲にしてきたモノがたくさんあるので、特に家族やチームへの恩返し、レース活動の一部に使うこともあるでしょう。
レースを通して僕自身が夢に向かって頑張れた。そこには多くの人の支えがありました。僕は今、復興支援の活動をしていますが、(そちらでも)何かの形で役立てたいなと思っています。
——2013年に初優勝をしてから4年……琢磨選手にとってインディ500優勝の『ターニングポイント』となったのは、いつでしたか?
琢磨 今年ですね。アンドレッティ・オートスポーツに移籍したこと、これは間違いなく大きなターニングポイントだったし、アンドレッティとサインした瞬間からインディ500は意識せざるを得なかったです。
「インディカーは求めるところがF1とまったく違う」
——世界の舞台で日本人のドライバーが活躍するのは非常に難しいことだと思います。そのために必要なことは何でしょうか?
琢磨 モータースポーツはチームスポーツ。車以上に速く走ることはできないんです。
例えば、優れたエンジニアと組んで、すばらしいセッティングが出たとしても、その通りに車を仕上げてくれるメカニックがいなければ、車は正しい動きを示さない。
だから、チームスポーツとしてコミュニケーションを確実にとること、試行錯誤を重ねながらベストの状態を作っていく。そういうマネジメントが、(日本人の)ドライバーには求められるのではないかと思います。
——欧州のF1を経て米国のインディカーに来て感じた違いや、特有の凄さは何でしょうか?
琢磨 アメリカは求めるところが欧州とはまったく違う。
お金をかけて素晴らしい技術で最速を目指すF1。対してインディカーは、ファンがどれだけレースを楽しんでくれるかがすべて。
例えば、僕は1台体制のAJフォイトレーシングで、(強豪チーム相手に)優勝できた。全ドライバーが平等に戦えるチャンスがあるのは、本当に素晴らしいなと。
インディカーのコクピットから見える世界は、F1ほどラグジュアリーな世界ではないかもしれない。
でも、「これこそがレースだ!」みたいな。ガンガン、コース上で追い抜きができるし、イエローコースコーションが入って、誰が勝つかわからない状況って本当に楽しいんですよ!
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