モンテカルロラリーといえば世界的にも有名なラリーだが、このラリーに日産が参戦していたことはご存じだろうか?
1972年フェアレディZ(S30)でこの著名なラリーに参戦、そして総合3位という輝かしい歴史を得たのだ。そんな出来事に感化された当時19歳の横田正弘氏。
「いつかモンテカルロラリーに出たい」という夢を持ち続けた。そして今年2月、ついにあの当時のS30Zのレプリカを制作し、モンテカルロを走ったのだ!! そんな夢を叶えた横田さんの参戦記をご覧いただこう。
文:横田正弘(伊香保 おもちゃと人形 自動車博物館 館長)/写真:山本圭吾
ベストカー2018年3月26日号
■40年以上の夢を追い続けてレプリカ制作
群馬県の私設博物館、「伊香保・おもちゃと人形・自動車博物館」を経営する横田正弘さんがラリー・モンテカルロ・ヒストリックにフェアレディ240Zで参戦した。
このラリー・モンテカルロ・ヒストリックは1955年の第25回大会から、1980年の第48回大会のモンテカルロラリーに参戦記録のあった車両がエントリー可能という名誉あるラリー。今年は世界各地から365台が参加した。
フェアレディ240Zでラリー・モンテカルロ・ヒストリックに参加した横田さんから、リポートが届いたのでさっそく紹介しよう(編集部)。
時は1972年、私が19歳の時です。日産自動車はフェアレディ240Zでプロドライバー、アルトーネンを起用し、モンテカルロラリーで総合3位に入賞しました。FF全盛期だったラリー界では衝撃の出来事でした。

その車体は全国の日産に展示され、もちろん群馬日産にも展示されました。それを見た時の衝撃は忘れられません。
その時から今までずっとその思いはモンテカルロラリーに続いていました。しかし、ラリー・モンテカルロ・ヒストリックの門は、私にとってとても狭き門だったのです。
私はフェアレディ240Zは大好きですが、ラリーが大好きなわけではありません。モンテカルロラリーなんて出られるわけがないと思っていたのです。
しかし、思いもかけず参加することが可能であること、日本からサポートを請け負って同行してくれる人がいることを知りました。
すぐに行動を起こしました。どうせなら当時のフェアレディ240Zのレプリカを作ろう、と。
日産の座間工場に出向き、当時のまま展示してある240Zを見に行きました。詳細を話すと日産の社員のみなさんがとても丁寧に対応してくださり、昨年の1月からレプリカ制作を始めることができました。

もともとサーキット走行やダートトライアルには240Zで参加していましたので、240Zのことは全てわかっています。ただし、当時の部品を調達するのはとても大変でした。試行錯誤の繰り返しでした。
やっとのことで昨年5月に完成。その後2000kmほどテスト走行を繰り返し、7月にJAF戦の国内ラリーに参加しました。
夜中の12時スタートでしたので、フォグランプの確認やマップランプの確認などを調整し完走。準備万端です。12月の初めにフランスに向けて船に積み込みました。
■世界一過酷ともいわれるラリーに挑む240Z
モンテカルロラリーは世界一過酷といわれているラリーです。スタート地点は6カ所か7カ所。その年によって違います。私はフランスの『ランス』をスタート地点に選びました。小さな町ですが、町を挙げてラリーを応援しているよい町です。
2月2日、午前11時に車検。同19時スタート。ここから20時間、寝ずにノンストップで走りました。
チェックポイントには決まった時間が指定されているのでのんびりしてはいられません。食事は運転しながらです。ガソリンの給油をする時以外は走りっぱなしです。

初日807km。翌日の15時にバランスという町に到着しました。翌日は6時50分にスタート。364kmの山道を9時間で走り、16時に到着です。また翌日は6時30分にスタート。451kmの山道を8時間で走り、15時に到着。
また翌日は5時15分にスタート。450kmの山道を11時間で走り16時に到着です。そしてそのままその日の20時45分にスタートして翌朝の3時15分にモナコの最終ゴールに到着しました。順位は250位でした。合計3229km。ほとんど高速は使いません。
初日と最終日は徹夜でハイスピード運転。山道は狭く、対向車とすれ違うのもやっとのような道ですが、ガードレールもありません。ラリーとはいえ公道を閉鎖していませんから普通に対向車が来ます。運悪くカーブなどでぶつかっているクルマも何台かいました。
雪道でもスピードを落とせません。後ろからも次々と来るのでもたもたなんてしていられません。もちろん競技中ですから真剣です。フランスの場合普通の道路もスピード制限が90km/hや100km/hのところがあるので、かなりペースはハイスピードです。
ですからタイヤ選びが重要です。スタッドレスとスパイクを使い分けて走りました。ゴールした時には、感動の波が押し寄せてきました。少年時代からの夢がやっと叶ったのですから。そして世界一過酷といわれるわけがよく分かりました。

しかし深い魅力があることもまた改めて知りました。また来年も挑戦したいかな? と少しだけ思います。
横田さんが経営する伊香保 おもちゃと人形 自動車博物館はこちらから。展示内容がユニークでクルマ好きならずとも、ちょっと懐かしいおもちゃとの出会いなどもあり、家族で楽しめます!!