■新人当時からバトンは速さだけではなく、安定感も備えていた
ハミルトンはバトンがマクラーレンに移籍してきた2010年こそ僅差のポイントでバトンを破りはしたものの、翌2011年は優勝回数が同じ3回にもかかわらず、バトンの安定した走りには敵わず、43ポイントの大差で屈服したのだ。しかも宿敵フェラーリのアロンソにも負けてしまった。
デビューからチームメイトには負け知らずのハミルトンには、これは受け入れ難い屈辱であったに違いない。
翌2012年はハミルトンがなんとかバトンをかわしはしたが、バトンと共にした3年間のマクラーレン時代、ハミルトンは一度もバトンに大差をつける事なくメルセデスへと移籍した。
バトンとハミルトンの間には7年間のデビュー差があるが、彼らのデビューまでの経緯は比較的似ている。双方ともカートで才能を開花させ、多くのカートレースを経験しチャンピオンにも輝いている。その経験がF1でのデビューイヤーから、彼らを競争力のある強いドライバーに仕上げていたのだ。
バトンのデビュー当時、ウィリアムスの総帥フランク・ウィリアムスの談話で「フォーミュラーフォードで1年、F3を1年だけと経験の少ない新人のバトンは大丈夫なのか?」という質問に、「バトンはカートで多くのレース経験を積んでいて結果も出している、レースの経験は並のドライバーよりも凄まじく豊富だ」と応えていた。それを証明するように、バトンはただ速いだけではなく、巧みで安定した玄人好みのレースを展開。勝負強さと雨天等のシビアな状況でも熟練したテクニックを見せ、果敢なトライにも危なさがなく、新人らしからぬ安定性を備えていた。
このジェンソン・バトンがハミルトンとチームを同じくしたときに、バトンには既にウィリアムス、ベネトン/ルノー、BAR/ホンダでキャリアを重ね、そして2009年には英国の新興チームであるブラウンGPでチャンピオンを獲得するなど、多くのチームでの経験と成功が積み上げられていた。
ルイス・ハミルトンは、後に2016年にもメルセデスでニコ・ロズバーグにも負けるのだが、マクラーレンでバトンに負けたことは、ハミルトンにとって言わば払拭できない負の記録。
もしかすると今後もマシンなどの状況が落ち込んでくれば、再び2011年の悪夢が蘇るかも知れない。あの年は英国人ジェンソン・バトンがチームメイトだったが、来年からはバトンと同じ英国人のジョージ・ラッセルがチームメイトになる。
昨年のサヒールグランプリでハミルトンの代役で走ったラッセルを思い出せば、彼はハミルトンを破った時のバトンになり得る予感がするのだ。
TETSUO TSUGAWA
TETSU ENTERPRISE CO, LTD.
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津川哲夫
1949年生まれ、東京都出身。1976年に日本初開催となった富士スピードウェイでのF1を観戦。そして、F1メカニックを志し、単身渡英。
1978年にはサーティスのメカニックとなり、以後数々のチームを渡り歩いた。ベネトン在籍時代の1990年をもってF1メカニックを引退。日本人F1メカニックのパイオニアとして道を切り開いた。
F1メカニック引退後は、F1ジャーナリストに転身。各種メディアを通じてF1の魅力を発信している。ブログ「哲じいの車輪くらぶ」、 YouTubeチャンネル「津川哲夫のF1グランプリボーイズ」などがある。
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