「アランからのプレッシャーが凄いんだ」セナはポジティブなプレッシャーと言い聞かせていた

型落ちのエンジンでシューマッハを打ち負かしていたが……

 しかし3回のワールドチャンピオンを獲得後のセナからは既にリオのガレージでの初々しさなど微塵もなくなっていた。93年のマクラーレンはワークスエンジンを搭載できず、ベネトンが使用しているフォード・コスワース・HBエンジンを搭載したが、これもワークスであるベネトン搭載エンジンのワンステップ落ちのエンジンであった。

 93年のキャラミの記者会見で、セナはこの状況が気に入らず“今シーズンこのままなら、勝てそうなレースには出走するが、勝てそうもないレースには出ない”と実に不満顔のままで言ってのけた。

 その言葉の裏には“そんなレースはリザーブ・ドライバーが走れば良い”という高慢さが感じられた。つまり、当時のマクラーレンのリザーブ・ドライバー、ミカ・ハッキネンに向けて“勝てないレースにはお前が走れ”と言わんばかりの態度であった。そこにはウィリアムズという当時の最速チーム、最速マシンを犬猿のライバル、アラン・プロストに奪われた(とセナは信じていたようだ!)ことが大きく影響していたのだろう。

 自分がウィリアムスと契約できなかったことが“理不尽である”と考えていたに違いない、事実それに近い発言も多々あった。

凄まじい自己中心的なセナだが、それが彼の人格というわけではない

 セナという稀有なレーシングドライバーはレースとレースに関わる全ての状況も場面も道具も人も、全て自分の勝利への布石として考えていた。これは当然で、だからこそ3回ものワールドチャンピオンを獲得しているのだ。それも常に手強いライバルと戦いながら。

 チャンピオン・セナのキャラを語る時、“凄まじい自己中心的メンタリティ”がつねに出てくるが、それがイコール彼の人格ということではないのは当然で、その自己中はF1レーシングに対峙したエヤトン・セナの時だけの話なのだ。

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津川哲夫
 1949年生まれ、東京都出身。1976年に日本初開催となった富士スピードウェイでのF1を観戦。そして、F1メカニックを志し、単身渡英。
 1978年にはサーティスのメカニックとなり、以後数々のチームを渡り歩いた。ベネトン在籍時代の1990年をもってF1メカニックを引退。日本人F1メカニックのパイオニアとして道を切り開いた。
 F1メカニック引退後は、F1ジャーナリストに転身。各種メディアを通じてF1の魅力を発信している。ブログ「哲じいの車輪くらぶ」、 YouTubeチャンネル「津川哲夫のF1グランプリボーイズ」などがある。
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