常に期待と責任を背負い戦った王者の苦悩
1998年ベルギーGPで周回遅れのデビッド・クルサードに追突したシューマッハが鬼の形相でマクラーレンのピットに押し掛けた事件で、シューマッハの大勘違いの暴走に対してメディアセンターで誰よりも怒りを爆発させていたのはシューマッハの母国、ドイツのジャーナリストだった。
「あれだから彼は尊敬されないんだ! あれがチャンピオンのすることか! 私は恥ずかしいっ!」と、拳を振り上げんばかりに口泡飛ばして顔を真っ赤にしている様子に、私はただ呆気にとられるばかりだった。
誰だって間違いは犯す。F1王者だって頭に血が上ればミスも犯すこともあるよ、という考えをチラつかせることさえ躊躇われるようなその場の雰囲気に、私は二度の世界大戦の後遺症ともいえるドイツに対する欧州の人々の複雑な思いを垣間見た気がした。
ドイツ人初のF1王者として、シューマッハに寄せられる周囲の(ある意味)勝手な期待と責任の大きさを、彼自身はどう思っていたのだろう。
スイスに建てたミニ・シアター付きの豪邸と聞けば、たいていの人は羨ましがるか、税金逃れとやっかむかだろうけど、裏を返せば、それは映画を観に街へ出かけることもできない不自由な生活ということだ。
茶目っ気たっぷりに私をからかった男の子が、そんな生活を本当に望んでいたのかどうか私にはわからない。
“仮面”の奥に垣間見えたシューマッハの素顔
F1でのシューマッハは、笑うにしろ怒るにしろ、それ用の仮面を使い分けているようで、記者会見で話を聞くくらいでは彼のホンネを知ることなど不可能に思えた。
ただ、F1でも相変わらず鎬を削っていたハッキネンは妻子と一緒にサーキットに現われメディアにサービスをしていたが、私が知る限りシューマッハがサーキットで二人の子どもとカメラの砲門の前に立ったという記憶はない。
欧米では珍しくない有名人の子供の誘拐事件を警戒してのことだと言う人もいたし、それももちろんあったろうと思うが(その点ハッキネン夫妻はノンキだったと思う)、恐らく彼生来の性格として、自分の大切な人々に対する胸の奥の柔らかな部分を、マスコミはもちろん、他人に知られることに人一倍、気恥ずしさを感じるタイプなのではなかろうか。
そんなシューマッハの仮面が外れた瞬間を見たことがある。2001年オーストリアGPでポールポジションを獲ったシューマッハとパドックですれ違った。
予選後の記者会見もチームの囲み取材も終わって数時間。F1開催地の中でもとびきりの田舎、アルプスの空気が心地よい緑豊かな山々が見えるパドックを、どういうわけだかシューマッハが一人でこちらに向かってくる。と、何やらすっとぼけた音が聞こえたと思う間もなく彼と目が合い、音が止まった。
シューマッハが鼻歌を歌っていたのだ。
ごきげんに、楽しそうに、そして少し調子っぱずれに。
誰かに鼻歌を聴かれたことに気付いたシューマッハは0.1秒ほどひるんだように見えた。しかしすぐさま体制を立て直すと、照れ臭さそうに「Hi!」と短い挨拶をこちらに投げてよこし、そそくさトランスポーターの脇をぬけてフェラーリのガレージへ入っていった。(了)
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冒頭でも触れたとおり、シューマッハ氏は、現在も自宅で療養を続けているとみられている。
叶うならばまたあの笑顔をもう一度、見たい。モータースポーツに関わるすべての人が、その姿を待ち望んでいる。
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