もしも、280馬力自主規制が行われていなかったら、日本車はどうなっていただろうか? いまや世界のクルマは500馬力以上のクルマが溢れ、留まるところを知らない状況だ。
片や日本車の500馬力オーバー車は570馬力のGT-Rと600馬力のGT-Rニスモ、507馬力のNSX、少し遡ってみても560馬力のLFAの4車種だけ。あまりにも少な過ぎる。280馬力自主規制があったから、いまだに日本車メーカーは及び腰になっているのではないか。
こんな無意味な自主規制が、日本車の大馬力車を生まなくなった元凶ではないか。とても残念でならない。
ということで、ここで今、280馬力自主規制はなんだったのか? 当時の280馬力自主規制によって、280馬力車を改めて検証し、もし280馬力自主規制がなかったら、何馬力になっていたのかを、自身も280馬力車を2台(スープラ、RX-7)乗っていたという、モータージャーナリストの岡本幸一郎氏が解説する。
文/岡本幸一郎
写真/ベストカーweb編集部
■そもそも1989〜2004年まで行われた280馬力自主規制とは?
1980年代、交通事故死者が急増し、「第二次交通戦争」と呼ばれる深刻な社会現象となったことを受けて、政府は交通事故非常事態宣言を発令、自工会を含む関係者に対策を迫った。
運輸省(当時)はさっそく自工会に馬力規制を迫り、各メーカー各社もお上の意向に逆らえず自主規制を受け入れた。1989年7月に発売した当時、もっとも出力の高かったZ32型フェアレディZの280馬力が自主規制値とされた。
あくまで「自主」規制と呼んでいるが、280馬力を超えたクルマは型式認定されないことになったため、実質的には国が規制をかけたといえる。
日本人の好きなキリのいい300馬力のような数字ではなく、少し半端な280馬力となったのは、Z32に合わせたといわれているが、これも鶏が先か卵が先かよくわからない話。現に北米仕様のZは300馬力を発生しており、日本仕様でも300馬力を出すことは難しくなかったはず。
ただし、仕向け地による排ガス等の規制や熱対策による微妙な違いはかねてからあり、Zをはじめ当時の280馬力勢の多くが海外では300馬力オーバーでも、諸条件の厳しい日本では280馬力程度に抑えざるをえなかったという事情もある。
しかし、2000年代に入ると、交通事故死者数が減少し、日本車メーカーでも国内では280馬力、国外では280馬力オーバーというダブルスタンダードという矛盾が生まれる。それに加えて日本にも280馬力を超える輸入車が続々と上陸するようになると、日本車メーカーにとって280馬力自主規制は単なる足かせに過ぎなくなってきた。
こうした背景を受けて、自動車工業会は、2004年6月30日、国土交通省に280馬力自主規制撤廃を申し出た。そして7月21日の会見で国産乗用車(トラックや軽などを除く)の最高出力を280馬力に制限していた自主規制を撤廃したと正式に表明した。280馬力自主規制撤廃第1号は、2004年10月に発売した300馬力のレジェンドだった。
■もしも280馬力自主規制がなかったら何馬力だったのか?
そして、もし自主規制がなかったらどうなっていたか? このお題を考えるとき、当時すでにチューニングメーカーやショップはいろいろ手を尽くして、かなりパワーを上げていたことを思い出すが、メーカーとしてどれぐらいの出力まで担保して売り出せるかというのはぜんぜん別の話であることを、あらかじめご理解いただきたい。
実際の話どうだったかを考える上で参考になるのが、同じ車種の海外仕様がどれぐらいの出力を公称していたかである。加えて、ベストカー2002年12月26日号でシャシーダイナモを使った実馬力測定を行っているクルマもあるので、これを入れこみながら紹介していきたい。
日産Z32型フェアレディZ(1989年7月)/VG30DETT型3L、V6ツインターボ
カタログ馬力:280ps→推定馬力:300ps
Z32も前述のとおり北米仕様が300馬力だったのに日本仕様が280馬力とされたのは有名な話で、もし自主規制がなかったら、たしかに日本でも300馬力で出てきたかもしれない。
ちなみに、同じVG30DETTの搭載を念頭に置いていた「MID4」が、330馬力を想定していたといわれており、Z32も条件が整えばスペシャルバージョンとして、それぐらいの高性能版も出ていたかもしれない。そうならなかったのは、ハンドリングも含めZ32は走りがいまひとつ評価されなかったからだろう。
センセーショナルなデビューを飾ったものの現役当時は時間の経過とともに存在感が薄れていき、肝心のエンジンも、「本当に280馬力?」とか「GT-Rと同じ日産が作ったとは思えない」的な言われ方をすることが多かったのは否めない。
日産R34型スカイラインGT-R(1999年1月)/RB26DETT、2.6L直6ツインターボ
カタログ馬力:280ps→推定馬力:340ps
そして、高性能車の代名詞であるスカイラインGT-Rは? 2568㏄という排気量は、グループA規定をうけてのものであることはご存知のことだろう。
RB26DETTはチューニングベースの大御所として知られるL型に由来するもので、グループAで600馬力程度まで視野にいれて開発されおり、パーツのひとつひとつに“理由”がある。
ノーマルでも300馬力はゆうに出ていたという説もあるほどだが、たしかにそうだろう。現にちょっとブーストアップするだけで、簡単に350馬力は出た。
もし自主規制がなかったとしても、当時としては340馬力程度だったのではないかと思われる。
現に、自主規制の制約を受けないR33の時代に出た限定車の「NISMO400R」ですら、2.8リッター化してライトチューンした上での400馬力だ。
であればR32は、普通のカタログモデルである以上は330ps、最終のR34は340psと推測する。実際、ベストカーで実馬力測定を行ったR34GT-Rも340.1ps/42.2kgmを記録している。
ホンダNSX(1990年9月)/C30A型3L、V6 NA
カタログ馬力:280ps→推定馬力:280ps
一方、全然事情が違うのがNSXだ。一応、280馬力とされていたが、筆者が何度か当時パワーチェックに立ち会ったときに、280馬力に達している車種はまずなかった。
そもそも自然吸気エンジンで馬力を上げるというのは、ターボよりもはるかにハードルが高く、5馬力、10馬力上げるのも大変だ。
いくらホンダの技術をもってしても、自然吸気エンジンの市販車でリッター100馬力近くを引き出すのは困難だったのは想像に難くない。
そんなわけで、NSXは公称値としては280馬力で変わらなかったと思われる。
三菱GTO(1990年10月)/6G72型3LV6ツインターボ
カタログ馬力:280ps→推定馬力:320ps
逆に、280馬力よりもずっと強力だったかもしれないのが、まず三菱GTOだ。搭載された6G72型3L、V6ツインターボエンジンは、日本仕様では一応、280馬力といっていたが、同じエンジンを搭載する、海外版は最初から320馬力だった。
GTOが秀でていたのは出力にもましてトルクだ。当時としてはライバルをしのぐ43.5kgmという強力なピークトルクを達成していた。当時の三菱のターボ技術は、もっとも進んでいるといわれていたものだ。
280馬力勢が低速トルク特性に大なり小なり苦手としている面が見受けられたところ、GTOはそんなことはなかった。
トヨタA80型スープラ(1993年5月)/2JZーGTE型3L直6シーケンシャルツインターボ
カタログ馬力:280ps→推定馬力:330ps
少し遅れて1993年5月に登場した80スープラもそうだ。70スープラのGTAでは270馬力だったのに、1JZを搭載したターボRですでに、2.5Lで280馬力に達していた。
そして80スープラになったときにも、同じ280馬力とされたのだが、そんなわけないよという感じ。実は当時の国産最強エンジンだったに違いないと思っている。
ちなみに280馬力自主規制がない北米仕様と欧州仕様では更に高出力化され、それぞれ320馬力、330馬力を達成した。
よって、日本仕様が330馬力で出てきていたとしてもぜんぜん不思議ではない。
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