■WRCを席巻したスペシャリティクーペ トヨタ セリカ(1970~2006年)
日本初のスペシャルティカーとして1970年に登場したセリカは、2年後の1972年からWECに参戦。3代目になってDOHCターボエンジン(3T-GTEU型)を搭載。グループBカーのホモロゲーションモデルとして排気量を1770ccから1791ccに拡大した4T-GTEU型エンジン搭載のGT-TSを発売。1984、1985、1986年のサファリラリーで優勝したほか、1983年と1985年のコートジボワールラリーでも優勝。
4代目からはFFとなるがGT-FOURという4WDモデルが用意され、グループBに代わってはじまったグループA規定によるWRCに投入。1990年にはカルロス・サインツのドライブによって日本車初のドライバーズタイトルを獲得。
ちょっと前のインプレッサWRXやランエボほどラリーのイメージは強くなかったが、どのモデルも先進的でスポーティで速いというイメージがあった。これはWRCなどラリーシーンでの活躍がバックボーンになっていたのだろう。(TEXT/斎藤 聡)
●セリカの功績……WRCなど世界的なラリーシーンでの活躍
■まだまだある! その魂が受け継がれし絶版車たち
●マツダ ランティス ※各車のスペックは末尾※のグレードのもの

1990年代初頭の元気なマツダのなかでも最も傑出したモデルのひとつ。2L、V6エンジンの回り方などクラスを越えた上質感だった。また、ABSやエアバッグなど安全性にも力を入れていた。当時としてデザインやメカニズムは世界的にみても最高レベルで、現代のマツダ車のデザインのよさやスポーティさの源流にあるといえ、そうした意味で功績を残したといえる。(片岡英明)
●ホンダ プレリュード

2代目プレリュードは「走りのいいクルマはFR」という当時の常識を覆し、FFでも走りのいいスペシャリティカーというジャンルを切り開いた功績を残したクルマ。またスポーツカー=MTが全盛だった時代にATをラインアップし、そのATも積極的にシフトチェンジするのが楽しい走りのATだった。いっぽうデザインもオシャレでデートカーとしてのよさも持ち合わせたクルマだった。(片岡英明)
●日産 180SX

S13シルビアの派性モデルとして3ドアクーペが欲しいユーザーをうまく取り込んだモデル。実際に乗ってみると前後のバランスがよくとても素直なクルマで、走る人を育てるという功績を残したといっていい。それは同時に180SXが高い運転技術が生きるクルマだったということも意味する。スタイリッシュでかつ走るクルマとして180SXは功績あるクルマだった。(斎藤聡)
●三菱 FTO

三菱のFFスポーツを代表したのがFTO。ミラージュよりもさらにスポーツに特化したモデル。コーナリングでのオンザレール感覚が象徴するように、究極のハンドリングマシンだった。FFスポーツのなかでも傑出したコーナリング性能を持つ極めてレベルの高いモデルとしての功績は大きい。ギャランクーペFTOのイメージを持つ人をもくすぐるクルマだ。(斉藤聡)
●ホンダ インテグラ

インテグラのなかでも特に功績が大きいのは初代タイプR。走りはヤンチャで、暴れるのを抑え込み“操っている感”満載のとにかく運転がおもしろいモデルだった。速さとおもしろさを追求したホンダらしいクルマで、存在感は圧倒的に高かった。このクルマのおもしろさが一気にタイプRの“凄さ”を世に知らしめデビューこそ先だがNSXまで膨らんだという意味で、その功績は大きい。(斉藤聡)
●トヨタ ソアラ

特に2800GTは当時の国産車としては最高に速くかつ、気持ちよく回りパンチのあるエンジンだった。いっぽうスポーツカーに比べ、肩の力を抜いても乗れるプレステージ性の高いスペシャルティカーとしての功績も大きい。またデジタルメータの採用など内装での革新的なトライもソアラの残した功績だ。(片岡英明)
(写真、内容はすべて『ベストカー』本誌掲載時のものですが、必要に応じて注釈等を加えている場合があります)

コメント
コメントの使い方MAZDA323のラウンド優勝があったのは、82年から6年の長い参戦によってノウハウを積み重ねたからです
その期間の戦績はそこそこで、その後も88年の4位以外は撤退の91年までぱっとしない成績のため、なかったことのように扱われますが
その一瞬だけじゃなく、長く参戦して地道にノウハウ研究してたことを、もっと本社もファンも言及すべきです