毎年、さまざまな新車が華々しくデビューを飾るその影で、ひっそりと姿を消す車もある。
時代の先を行き過ぎた車、当初は好調だったものの、市場の変化でユーザーの支持を失った車など、消えゆく車の事情はさまざま。
しかし、こうした生産終了車の果敢なチャレンジのうえに、現在の成功したモデルの数々があるといっても過言ではありません。
訳あって生産終了したモデルの数々を振り返る本企画、今回は日産 パルサー(1978-2000)をご紹介します。
●【画像ギャラリー】初代のセダン、ハッチバック、クーペ、そして4代目「GTI-R」をギャラリーでチェック!!!
文:伊達軍曹/写真:NISSAN
■欧州車へのキャッチアップを目指して誕生したスポーティ小型ハッチバック
当時のカタログに書かれた文言によれば「ヨーロッパの先駆車を凌駕する高い完成度を持つ日産の自信作」として1978年に登場。
以降、欧州車をも凌駕する走りの良さを標榜しながらモデルチェンジを重ね、1990年登場の4代目ではホットモデルの「GTI-R」がイメージリーダーに。
しかし「スポーティな小型ハッチバック」というジャンル自体が斜陽となり、2000年を最後に日本市場からは消えていった小型ハッチバック界のビッグネーム。それが日産 パルサーです。
つい先ほど日産パルサーのことを「小型ハッチバック界のビッグネーム」と形容しましたが、とはいえ最初期のパルサーはハッチバックではなく「ファストバックスタイルの4ドアセダン」として登場しました。
当時のキャッチフレーズであった「パルサー・ヨーロッパ」という概念を、単なるお題目ではなく本当に実現させるためには軽量化と高剛性化を果たさねばならなかったため、ハッチバックではなく独立したトランクルームを備えるボディ方式としたのです。
そしてセダン発表から4ヵ月後の1978年9月には、待望の3ドアハッチバックと2ドアクーペを追加。
こちらにはEGI(電子制御燃料噴射)で92psまで出力を向上させたA14E型エンジンが搭載され、「パルサー・ヨーロッパ」というコピーにふさわしい各種性能を手に入れたのです。
そして1982年から1986年まで販売された2代目N12型、1986年から1990年までの3代目N13型を経て、1990年8月には4代目のN14型パルサーが登場しました。
こちらはすべてがDOHC化された5種類のガソリンエンジンと1種類のディーゼルエンジン、そして3ドアハッチバックと4ドアセダン、5ドアセダンという3つのボディタイプを用意。
そのなかの3ドアハッチバックに設定されたのが、最高出力230psのSR20DET型 2L ターボエンジンとフルタイム4WDシステム「ATTESA」を搭載した超ホットモデル、「GTI-R」でした。
世界ラリー選手権(WRC)への参戦を前提に開発されたGTI-Rは、主にそのエンジンパワーを持て余したことから、WRCでは目立った戦績を残すことはできませんでした。
しかし市販バージョンのハードコアな走りは、当時はまだまだ数多く存在していた「強烈な走りを愛好する若衆たち」の心に火を点け、狭い範囲ではありますがヒット作となりました。
しかしバブル景気が崩壊した1990年代も半ばとなると「スポーティなハッチバック」というジャンル自体がほとんど死語に近い世相となったせいでしょうか、1995年登場の5代目N15型はさしたる話題になることもないまま2000年9月に販売終了。
海外ではフルモデルチェンジを受けたN16型が発売されましたが、日本では「ブルーバードシルフィ」が事実上の後継モデルとなり、22年間にわたる「パルサー」の歴史はひとまず幕を下ろすことになったのです。
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