「モダンリビング」の浸透が、ティアナ最大の功績
初代ティアナのコンセプト「モダンリビング」は、非常によくできた概念だったと思う。それまでの日産は、901活動などを通して培った「走行性能の高さ」を最大のセールスポイントとして打ち出し、自らを「技術の日産」と呼んでいた。
そして、その「走行性能の高さ」をアピールする戦い方が「正しい」と信じていた日産だが、初代ティアナでは「走行性能の高さ」よりも、「インテリア」を一番に強調した。
モダンリビングのコンセプトを具体化したティアナに、当時「こんな軟弱なクルマは日産車ではない」と思った方も中にはいたかもしれないが、実は、走りについて手を抜くことはなく、トップグレードには3.5リッターV6エンジンを搭載し、その気になれば鋭い加速と、滑らかなエクストロニックCVTによって、非常に上質な走りを実現していた。
「走りだけの」日産から「インテリアのセンスも良い」日産というイメージを、世界へ打ち出していたことは、初代ティアナが築いた最大の功績だろう。
前回の倒産危機の際も車種整理を
同じような車種整理は、1998年の日産倒産の危機の際も見られた。どん底からの復活を、再び日産はやってみせようとしている。
1998年当時、日産は、S15シルビア(~2002年)、ローレル(~2004年)、パルサー(~2000年)、テラノ(~2002年)、ルネッサ(~2000年)、ティーノ(~2003年)などの車種を整理するとともに、ブランド力はあっても販売は低迷していた車種のブランド名を大胆に変更、「新たな出発」という意味を込め、ラインアップを大幅に整理した。
例えば、セドリック・グロリアをフーガに、サニーをティーダに、セフィーロをティアナに、ブルーバードをブルーバードシルフィに、などだ。
「せっかく育ったブランドを消すのは馬鹿げている」という人は多くいる。筆者もそう思うひとりだ。
しかし、日産にまとわりつく負の空気を払しょくするには、大胆な決断が必要なときもある。現に当時も、一時的に車種こそ減ったものの、その後新たに誕生したノート、キューブ、エクストレイルなどのヒットモデルを生み出すことに成功している。
ここから1年~2年程度の間、新型ノート、新型エクストレイル、そして新型車アリアや、新生フェアレディZなど、日産の新車攻勢が続く。ブランドロゴを変えたのにも意味があったといわれる日は必ず来るはずだ。
この2~3年は耐え時だろう。日産OBとして、厳しい目を向けながらも、なんとか日産が復活してくれることを祈っている。
【画像ギャラリー】お疲れさま、そしてありがとう!! 偉大な生産終了車「ジューク・ティアナ・キューブ」の歴代モデルをギャラリーでチェック!!
コメント
コメントの使い方