いよいよ日本でも2021年11月以降に発売される新車から、自動ブレーキの搭載が義務化されます。振り返ってみれば、自動ブレーキもほんの10年前まで、今のようにメジャーな存在ではなかったものの、アイサイトを搭載したスバルなどがけん引し、今や当たり前の装備になっています。
車の「安全」は、これまで多くの車の登場をきっかけに塗り替えられてきました。そうした画期的な国産車の歴史を、自動ブレーキ義務化直前の今、改めて振り返ります。
文/御堀直嗣 写真/HONDA、TOYOTA、SUBARU
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■ホンダが先鞭を付けた国産初のABSとエアバッグ搭載
日本では、1991年の第1期先進安全車の推進計画を、国土交通省(当時の運輸省)がはじめたあたりから、本格的な安全対策が前進したといえる。
1980年代後半のバブル経済による好景気を受け、国内に自動車保有台数は600万台を超え、運転免許証保有者の数は同じく600万人を超え、一方で、交通事故死者数は1万人を超えて高止まりしていた。
交通安全への機運が高まり、監督官庁自ら対応に乗り出したといえる。これに、国内自動車メーカーと大学などが協力し、より安全性を高めた次世代の自動車技術開発と、実用化へ向けた道筋が描かれ、それは現在も続く。
そうした時代の流れに添うかたちで、1980年代から自動車メーカー自らによって欧米の先進技術を取り入れる動きははじまっていた。
1970年代の排出ガス規制にもCVCC(複合渦流調整燃焼方式)で先んじたホンダは、安全においても、1982年にスペシャルティカーであるプレリュードにABSを装備した。ホンダはこれを、独自に4W・ALBと呼んだ。
ABSは、アンチロック・ブレーキ・システムの頭文字をとったものであり、ホンダは、アンチ・ロック・ブレーキの頭文字をとって独自の名称とした。システムという表現の代わりに、頭に4W(4輪)の文字を加え、システムとしての機能を表していた。
電子制御によるABSは、1978年にドイツのボッシュが開発し、メルセデスベンツのSクラスに採用したのがはじまりだ。そこから間もなく、ホンダも日本車として市販へ移したことになる。
ホンダはまた、1987年に高級セダンのレジェンドに、運転席用エアバッグを装備した。火薬を爆発させその勢いでバッグを膨らませる方式は、実は、日本人の発明による。
クルマへの実用化は米国フォードが最初で、ただしこれはモニター調査に終わり、続いてGMのキャデラックが注文装備として1973年に採り入れた。1980年には、メルセデスベンツ Sクラスに同じく注文装備となっている。
1987年のレジェンドへの装備に際しても、国内ではまだエアバッグに対する認識は低かった。このときホンダと一緒にエアバッグを開発したのが、タカタである。
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