■F50以降は台数限定のスペチアーレを発売
時は世界的な好景気の真っ只中。特別なモデルの存在がとりわけクローズアップされた。他ブランドもこぞって限定モデルを発表する。特別感の演出に最も効くのが“限定”であり、開発の口実(ストーリー)として“周年”は誠に都合がいいとフェラーリも考えたのだろう。50周年記念のF50はグッと絞って349台となった。
ここにフェラーリの限定車ビジネスはひとつの完成形をみる。F50は50周年に登場した訳ではなく、50周年を迎える1997年までに349台を作り終えるとして1995年に発表されている。
結果的にこの後フェラーリは、周年にはもはや関係なく、程よい期間(だいたい10年弱)を挟んで、288GTOから続く“スペチアーレ”(特別仕様)をVIP顧客に限って限定販売するという手法に転換した。2002年のエンツォ・フェラーリ、2013年のラ・フェラーリという具合に。
■F50からは12気筒リアミドシップが特別な存在
もうひとつ、ここには重要なコンセプトの変化もあって、288GTOとF40はモータースポーツを背景とした成り立ちゆえV8ツインターボをリアミドに積んでいたのだが、F50で12気筒をリアミドに積むと、今度は12気筒ミドであること自体が“特別な存在”へと引き上げられた。
フラッグシップのシリーズモデルが12気筒ミドシップのテスタロッサ(TR)系から、12気筒FRの2シーターGTクーペへと伝統回帰したことのそれはウラハラでもあったのだ。
F40が288GTOをベースとした発展形であると書いたが、レーシングカーのシルエットフォーミュラ(グループ5)のようなエアロデバイスをまとい、コンポジット素材で車体を強化し、カーボンボディパネルを採用するなど見た目としては新時代のスーパーカーであったし、その性能もまたそれまでのロードカーとは一線を画していた。
とはいえ、その成り立ちはといえば鋼管スペースフレーム構造という従前のフェラーリロードカーと基本的には変わらなかった。
それが一転してモダンなカーボンモノコックボディ構造へと進化し、あまつさえF1とのメカニカルなイメージ共有性を実現したという点で、F50の存在は大きい。そしてもちろん、少量限定生産というその後のフェラーリビジネスの柱が構築されたという点でも評価すべきモデルだろう。
レースでの直接的な活躍はなかったけれども、そのノウハウはプロトタイプレーシングカーの333SPに生かされている。
■限定モデルのオーナーはフェラーリが選ぶ
年々広がる跳ね馬マーケットに対して、この手の限定モデルは500台前後に絞られており、その希少性は極めて高い。しかも、お金があるからといって買えるものではないという点が、希少性をさらに高めている。
現代のVIP向け専売となったスペシャルモデル・ビジネスの凄い点は、フェラーリ本社が売る相手を直接選んでいるところだ。つまり、本社が重要な顧客の“顔”を知っている。
フェラーリの特別仕様車を手に入れるためには、マラネッロとの付き合いを深めるほかない。付き合いとは、クルマを買い、イベントに参加することだ。
マラネッロは顧客のある意味“貢献度”によってランキングを作り、販売する相手を決めている。そのリストに入るためには、基本、地道な努力が必要で、些か宗教的ですらある。
最も有効な手段は、フェラーリでレース活動をすることだと言われている。歴代F1モデルのオーナーは”F1顧客“と言われて最も重要視されているという。
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