■トヨタ(A80型)スープラ
レクサスは大成功させたけれど、バブルに踊ったスーパースポーツには手を出さなかったトヨタ。さすがに堅実ではあるけれど、スポーツカーに対する情熱が足りない、そう思われていた。
1993年に登場した80スープラは、そんな風評に一矢報いるべく登場した本格スポーツだ。
3L直6ツインカム280ps(輸出仕様は320ps)のツインターボエンジンには、わざわざゲトラグに発注した6速MTを用意。
正確なハンドリングを目指して全面新設計されたダブルウィッシュボーンサスには、大幅にキャパシティアップを図ったブレーキとF225/R245、16インチZRタイヤが奢られていた。
これほど走りに徹したパッケージは、たしかにこれまでのトヨタ車には見られなかった本格派。トヨタとしてはかなり思い切った製品だったといっていい。
ただし、この時代の国産スポーツシーンには、R32GT-RとNSXという2大スターが存在していたのが不運。ほとんど採算度外視のあの2台と比べると、スープラの走りはひと世代古い古典的なFR。
サーキットでR32GT-Rを追いかけると、リアの限界が低くすぐに横を向いてしまうハンドリングが不評だった。
当時の自動車雑誌は筑波タイムアタック企画が多かったから、スープラはいつもR32GT-Rの引き立て役。ドリフト全盛の今だったら、走りの楽しさという点でもっと高く評価されたかもしれないのにねぇ……。
■スバルアルシオーネSVX
1991年にデビューしたアルシオーネSVXの走りのキャラクターをひと言で表現すれば、“ロングツアーをこなすスペシャルティ”というところだろうか。
その成り立ちは、バブル期の生まれらしく贅を尽くしたものだ。
3.3L水平対向6気筒ツインカム24バルブにお家芸のフルタイム4WDを組み合わせ、そのメカをジウジアーロデザインの未来的ボディで包む。
いま見ても、グリーンハウス全体をガラスキャノピー風にアレンジしたそのスタイリングは未来的。こういうモーターショー向けのコンセプトカーみたいなクルマが堂々と市販されていたのだから、やっぱりバブルは素晴らしい。
走りっぷりは、まさに“グランドツーリングカー”と表現するのが相応しい。
3.3Lフラット6はパワフルというよりスムーズでトルクフルなのが美点。静かでドライバビリティがいいから、とにかく高速巡航でストレスがない。
しかも、高速クルージング時の安定感がビカイチ。ワインディングを飛び回るクイックな身のこなしではなく、大きなRのコーナーをしなやかにロールしつつ駆け抜ける落ち着いた操縦性が心地よいクルマなのだ。
雨が降ろうが雪が降ろうがとにかく行けるところまで行く! 現在もスバルが目指す安心感あふれる走りの元祖が、このアルシオーネSVXだったといえるでしょう。
■「あの時代」を懐かしむだけで終わらせてはいけない
冒頭に述べたとおり、1993年という年はバブル経済の最後の残り火みたいな時代。華やかなカタログラインナップとは裏腹に、各自動車メーカーの経営状態はじわじわ悪化しつつあった。
たとえば、前述の「901活動」で開発費や製造コストを大盤振る舞いした日産は、有利子負債を膨らませ過ぎて6年後にルノーからの資本参加を余儀なくされるし、無謀な5チャンネル構想が破綻したマツダは96年にはフォードから社長を迎え入れることになる。
また、おりからのRVブームに乗り遅れたホンダも経営は不振で、いすゞやローバーからOEM車の供給を受けて凌ぐありさま。初代オデッセイやステップワゴンが登場するまで、雌伏の時期を強いられる。
パジェロブームという神風が吹いていた三菱をのぞき、当時日本の自動車メーカーの新車開発現場はコストダウンに追われて、どこもみな暗いムードに覆われていたのだ。
こういう厳しい状況の中で、さすがと言わざるを得ないのがトヨタの実力だった。
1993年のフランクフルトショーに出品されたベンツのコンセプトカー「ビジョンA93」に触発された当時の豊田英二名誉会長は、「技術者にコストダウンばかりやらせてちゃいかん!」として、21世紀の乗用車のカタチを模索する“G21プロジェクト”を始動。新しい技術で魅力あるクルマを造るという正攻法に舵を切る。
この“G21プロジェクト”こそ初代プリウスのキッカケとなった技術スタディ。いまやトヨタの大黒柱となったハイブリッド車は、苦しい時期にあえて攻めに転じたからこそ実現したものなのだ。
自動車メーカーはやっぱり新技術で攻めないと明るい未来はやってこない。
そういう意味では、いま自動車業界は100年に一度の激変期と言われているのだから、むしろチャンスと捉えるべき。
1993年頃の華やかな国産車のラインナップを見て「あの頃は良かったなぁ」と感慨に浸るのは、お年寄りだけで充分ってことですな。
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