ついにスズキの礎を築いた剛腕が引退へ!! 鈴木修会長の勇退で振り返るスズキの歩み

■海外事業への閃き・・自動車産業の未開の地を開拓し、成功を掴んだインドとハンガリーへの進出

 別の視点で、鈴木修氏の勘ピューターの大きな成果が、海外事業だ。最初の転機は、1983年のインド進出だ。

 鈴木修氏はこの件について各方面での取材で、「アルトで国内事業の拡大を目指しても、四輪後発メーカーとして限界を感じており、どこか(の国)でナンバーワンになるべきだ」と説明している。

 ホンダが1970年代にアメリカで成長の可能性を求めたことに似ている発想だ。

 そうした中、インド政府関係者が国民車構想の相談で来日した際、鈴木修氏はこの話に乗った。当時のインドはまだ、社会主義的な国家運営であり、いわゆるカントリーリスクが高かったにもかかわらず、鈴木修氏自身がインドの関係者と親睦を深める中で、インドでの可能性を確信したといえる。

グローバルカーとして誕生した『スイフト(2代目)』。スズキが海外進出したインドやハンガリーでも生産され現地での販売も好調。未開の地からグローバルカーを生み出す「勘」も鋭かった
グローバルカーとして誕生した『スイフト(2代目)』。スズキが海外進出したインドやハンガリーでも生産され現地での販売も好調。未開の地からグローバルカーを生み出す「勘」も鋭かった

 こうした新天地の開発への考え方は、東欧ハンガリーでの事業進出でも同じだ。

 まだまだ語り尽くせない、鈴木修氏の功績。ひとまず「長年の激務、お疲れ様でした」と、鈴木修氏に申し上げたい。

修会長の「閃き」エピソードをもう1席。軽ハイトワゴンの元祖となった、『ワゴンR』。そのネーミングは修会長の「アルトもある、ワゴンもあーる」の一言がキッカケだった(諸説あーる?)<br>
修会長の「閃き」エピソードをもう1席。軽ハイトワゴンの元祖となった、『ワゴンR』。そのネーミングは修会長の「アルトもある、ワゴンもあーる」の一言がキッカケだった(諸説あーる?)

【画像ギャラリー】鈴木修会長とともに歩んできたスズキの名車たち大全集 !!

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