2021年4月1日、ホンダのトップが代わる。新しく就任するのは三部敏宏氏で、創業から数えて第9代目の社長となる。
さて、社長が代わってホンダとそのクルマはどう変わるのか? と多くのファンが注目しているところだろう。
そこで本稿では、『ホンダ・トップトークス』の著者でもある筆者が、初代社長でもある本田宗一郎氏は何が凄かったのかを分析。いま一度ホンダの「原点」を考える。
文/御堀直嗣 写真/HONDA
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「人の真似はするな」ホンダの原点が生まれた必然
ホンダの創業者である本田宗一郎が社長を務めていた時代、社内報に「トップトークス」として宗一郎の考えはもちろん、副社長であった藤沢武夫、また宗一郎を引き継いで2代目社長となった川島喜好などが、寄稿している。
基本的にそれらは社内情報だが、2000年ごろに公にすることが許され、読む機会を得た。そして拙著『ホンダ・トップトークス』を記した。
宗一郎についてはさまざまに語り継がれた伝説があり、独創の経営が語られてきている。そのうえで、根底に流れる宗一郎の思いは、社員一人ひとりに対し「自己実現に挑め」ということであったと思う。
宗一郎自ら、「会社のために働くなどと考えるな」と言っている。宗一郎はクルマや飛行機など、乗り物が好きで、エンジンに関心を持ち、それを礎に、自己実現のため創業した。
社員にも自己実現を促す背景には、一人ひとりが創業者のような目配りでものづくりする姿勢を求めたのだろう。その力が結集すれば、会社も成長できる。そこから様々なホンダらしさも生まれたはずだ。
製造業として後発のホンダが成功するためには、ただ先達のあとを追っていたのでは達成できない。そこから「人の真似はするな」という自主独立の考えが生まれてくる。
しかし、そのためには、目指すべき目標や、本質的な価値が何であるのかという根本を見つめなければ、発想は出てこない。
空冷エンジンやCVCCはホンダの原点を見つめた末の回答
宗一郎が、空冷エンジンにこだわったこと、排出ガス対策では後処理でなくエンジンそのものの改良を目指したこと、あるいはマン島TTレースやF1に挑戦したこと、そして海外進出に際しては、当時世界最大の米国市場をまず目指したこと、それらすべてが、原点を見つめた末に出てきた回答だろう。
空冷エンジンにこだわったのも、エンジンを直接空気で冷やすという簡素でわかりやすい論理が背景にある。その後、水冷エンジンに転換していくが、それは燃焼効率を高めたり、排出ガス浄化をしたりしようとすれば、制御が必要になるからだ。
エンジンの緻密な制御の必要性を理解した宗一郎は、水冷エンジンを認めることになる。フォルクスワーゲンにしてもポルシェにしても、当初は空冷エンジンからはじまっている。ポルシェ911が水冷エンジンとなるのは1990年代後半になってからのことだ。
排出ガス浄化では、後発のホンダにとって、世界の自動車メーカーと同じスタートラインに立てると勇躍した。ここでも根本からの課題解決を宗一郎は指示した。
同時に後処理の研究も行っている。だが、エンジン本体をよくすることを優先したホンダが、世界のゼネラル・モーターズ(GM)やトヨタより先に、CVCC(複合渦流調整燃焼方式)で規制を突破した。
そして、他の多くの自動車メーカーが、CVCCの技術供与をホンダに求めたのであった。まさに宗一郎のものづくり思想の面目躍如たる逸話だ。
モータースポーツへの挑戦では、「走る実験室」などと形容されたが、単に試行錯誤する場というだけでなく、世界の最先端に触れ、自らに何が足りないかを目の当たりにすることに主眼があったはずだ。
もちろん競技の世界では、技術内容を競合に見せることはない。したがって、自ら考え、自ら試し、そしてレース結果という歴然とした実力差を体感する。「人の真似」をしようにも、真似できないのが競技の世界だ。
そして世界との差を自らの挑戦によって埋めていくことにより、本質を知ることになる。本質がわかれば、それを発展させていける。そして世界一に手が届くのである。
海外進出に際し、米国市場を目指すべきと宗一郎に進言したのは、副社長の藤沢だった。米国市場で成功することが、世界一への道につながると宗一郎を説いた。最初は、スーパーカブで進出した。
一方、米国の2輪市場は、ほとんどがハーレーなど大型中心であった。そこにスーパーカブという、全く異なる価値で挑んだことにより、女性など新たな顧客層をホンダは掴んだ。人を真似ず、後追いせず、独自に価値を生み出した好例だ。
「素晴らしい人々、ホンダに乗る」という宣伝も、力を誇示する大型2輪と対照的な消費者に訴えかける言葉となった。
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