本田宗一郎の凄さを物語る「逸話」と「三つの喜び」
本田宗一郎の凄さを知る一つの逸話がある。開発過程でやり直しの宿題を担当者に出し、翌朝までに答えを用意するよう命じた。同じことを何人もの研究者や技術者に命じた宗一郎は、そのすべての回答を自ら翌朝用意して出社したという。
ある研究者は「自分の課題一つを解決するだけでも大変な苦労であったのに、オヤジさん(宗一郎のことをかつての社員はそう呼んだ)は全員の答えを一人で考え、翌朝それぞれに示した」と語った。
単に問題点を指摘するだけでなく、自らも考え、答えを導き出し、何人もの課題に対処したところに、宗一郎の凄さがある。
宗一郎が去ったあと、同じことはできないとして、複数の役員からなる評価会が設置され、そこで開発中の技術について審査が行われ、承認を得てから次へ進む段取りが研究所に設けられた。
経営では、宗一郎と藤沢が退任した後を引き継いだ河島は、役員総出で経営にあたる体制を新たに築いた。
ホンダ本社の役員室は、社長といえども個室はなく、役員室という広い部屋のなかで各自は空いた机で執務し、中央のテーブルに集まっては合議する。私が本社を見学した際は、そういう役員広間となっていた。
評価会や、個室のない役員室を設けることで、宗一郎と藤沢の抜けたあとのホンダは創業の独自性を活かしながら成長してきたのである。
本田宗一郎はまた、社内報のトップトークスのなかで、誰にでもわかる平易な言葉で社員に語り掛けた。
その一つが、「三つの喜び」である。「買って喜び、売って喜び、作って喜び」だ。当初、この言葉は順序が違っていた。「作って喜び、売って喜び、買って喜び」だった。
しかし、それは間違いであると、藤沢が気付いた。まずお客様に喜んでもらうことが何より大切だと気付いたのである。また、ホンダが製造した2輪や4輪、あるいは汎用製品を、売ったことで顧客が喜び、それを通じて販売店の人々も喜べる商品でなければならない。
もちろん、作るうえでも、真理を追究した独創の技術を製品として実現することにより、作る喜びも生まれる。
そうした多面的なものづくりをするため、本田技術研究所は存在した。人の真似をしないといった表面的なことではなく、自ら本質とは何かを考え、理想を追求し、それを実現するために、何を知り、何を開発しなければならないか、そこを探求するのが研究所の役目だった。
したがって失敗することが許され、失敗を素早く挽回しながら技術を構築し、製品化していくまでが研究所の仕事であった。採算が合わないのは当然だ。
そこを、ホンダ(本田技研工業=本社)が100%支援してきたことで、ホンダの製品はどこか他社と違う魅力を発揮し、ホンダファンが生まれ、世界へ広がった。結果、2輪・4輪・汎用のすべてをホンダ一色にすることで幸せを感じる人々がいる。
宗一郎は、研究所を本社より上の位置づけとして価値を与えてきた。研究所で働くことが誇りとなることを願ったのである。
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